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みんなでつくる信州上田デジタルマップ|

登録リスト(該当:4406件)

写真タイトル説明登録日
1旧安田たばこ店旧安田たばこ店1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 今は特にお店とかはなく、一階は住宅のようになっているが、もともとは安田たばこ店というたばこ屋が存在していたのが分かる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
2上田プラザホテル上田プラザホテル1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。形としては時に変化していないが、さすがに古くなってきていることもあり、現在はきれいに塗装されており、古さを感じさせない、また新しい雰囲気のように感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
3みすゞ飴本舗 飯島商店みすゞ飴本舗 飯島商店1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 見て分かる通り、この建物もほとんど変化がなく、歴史ある建物として大切に残り続けている。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
4リンズコーヒーリンズコーヒー1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 このカフェは約10年経っても外見に関しては特に変化がないことが分かる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
5魚民 上田お城口駅前店魚民 上田お城口駅前店1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 今では魚民の上の階にKATEKYO学院があり、2012年当時はなかったことがわかる。そして、その上の大きな看板には、2012年から変わらず長野大学を表す看板があることも分かる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)2021-01-20
6松尾町商店街について松尾町商店街について歴史的変遷の説明の前に、まず松尾町商店街について調べたことを少し紹介しようと思う。 松尾町が誕生したのは明治21年(1888年)であり、今年で133年目を迎える。別名真田坂とも呼ばれている。上田市の玄関として、これまで多くの人が行き来している商店街である。 また、松尾商店街についての情報がまとめられたフリーペーパーがある。2005年から発行されており、今現在も発行され続けている。そのホームページもあり、誰でもネット上で見ることができるため、興味がある方はぜひ見てみて欲しい。 今回改めて自分の目でも松尾町商店街を見てみたが、長い歴史がありこれまでたくさんの人に親しまれてきた商店街と知り、この商店街は上田市にとってとても大切であり欠かせない存在であると感じた。 【参考文献】 フリーペーパー真田坂ホ2021-01-20
7富士アイス「じまんやき」富士アイス「じまんやき」上田市の「富士アイス」で販売されているじまんやき。 あんこ(つぶあん)とカスタードクリームの二種類があり、どちらも一つ80円である。 人気のお店で、筆者が平日に訪れたときには5~6人ほどの列ができていた。 あんこは甘さ控えめで食べやすく、小豆の味を堪能できる。カスタードはあんこより甘いが、くどい甘さではない。 あんこは大人向け、カスタードは子供向け、という感想を抱いた。 皮はモチモチとした食感が楽しめる。 ボリューム満点であり、二つ食べただけでも結構腹にたまる。 おやつだけではなく、朝食や昼食に食べるのも悪くないと感じた。 上田に訪れたときは、是非とも食して欲しい一品である。2021-01-20
8蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~ この動画は以下の再掲です。 「蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~」(2010/12/19)(蚕都上田プロジェクト) →https://youtu.be/ALpsdlUN0zI?t=2624 (話し手:新津新生氏、桂木恵氏) この動画はフリートークの中で藤本善右衛門縄葛(つなね)に言及している個所に頭出ししてあります。 以下のような言及がされています。詳細は動画でご確認ください。 ・藤本善右衛門縄葛は、並外れた産業人であったと同時に教養人でもあった。 ・縄葛文化レベルの高さは並大抵ではない。余技で書いた『続錦雑誌』は凄い。 ・桑の葉にも数多くの種類があり、それを一つ一つスケッチ(正確には押し花)2021-01-20
9『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841『蚕かひの学』藤本善右衛門保右著1841▼蚕かひの学(デジタルアーカイブ資料) https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11D0/WJJS05U/2000515100/2000515100100050?dtl=all NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ 藤本善右衛門保右(やすすけ 1793-1865)が残した養蚕技術書。1841年(天保12年)に著し改版を重ねました。息子の縄葛もその改訂に携わったのではないかと推察をします。「信州地域史料アーカイブ」に収録された『蚕かひの学』はネットに公開された希少な一次資料です。 蚕種製造家は、蚕種を製造するだけでなく、教養に優れていることが蚕種の信用の保障となり、蚕種を販売しながら養蚕技術書を販促ツールとして活用したことがわかります。2021-01-20
10上田人物伝「藤本善右衛門」上田人物伝「藤本善右衛門」「上田を支えた人々 上田人物伝 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)」 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/028.html (上田市マルチメディア情報センター) ネットで藤本善右衛門を検索すると参照ページは意外に少なく、現時点ではWikipediaにすら記載されていません。ほぼ唯一、内容を知ることができるのがこの記事です。説明文は『上田市誌第28巻』の「藤本善右衛門」を要約した内容になっています。 「上田地方を蚕種製造の全国的な中心地に発展させた功労者」として紹介されています。藤本善右衛門は蚕種製造を営んでいた上塩尻の佐藤本家の当主の襲名です。代々の当主のうち、特に業績のあった昌信(1722-1773)、保右(1793-1865)、縄葛(1815-1890)が紹介されています。 縄葛は1845年、蚕種の新品種「掛合」を育成し2021-01-20
11ネット展示:藤本善右衛門が残したものネット展示:藤本善右衛門が残したもの日本一の蚕種製造の地・信州上田を知る上で欠かせない最も重要な人物の一人が藤本善右衛門縄葛(ふじもと ぜんえもん つなね)です。蚕種製造の中心地であった上塩尻村(現在の上田市上塩尻)にはそれぞれの家々が蚕種製造を営み、その中でも佐藤本家は代々が優れた蚕種製造家となり、当主は藤本善右衛門を名乗ってきました。 いったい縄葛(1815~1890)とはどのような人物だったのか、資料からその実像をさぐってみたい。2021-01-20
12「信州上田学」学びの成果発表会(2021/01/24オンライン実施)「信州上田学」学びの成果発表会(2021/01/24オンライン実施)「信州上田学」学びの成果発表会 配布/印刷用PDF 日時 2021年1月24日(日) 9:30~12:00 会場 オンラインライブ配信にて一般公開(メイン会場は長野大学リブロホール) 主催 長野大学地域づくり総合センター 来賓 上田市長(予定)、特別講師 オンラインURL 追ってお知らせします。 プログラム 9:30 開会 はじめに 来賓紹介 9:40 第1部 教員による地域協働型研究紹介 「塩田平のため池群における水資源管理の変遷と新たな利用価値の創出」 報 告 者 高橋大輔 環境ツーリズム学部教授 10:00 第2部 学生発表会 10:05 「信州上田学 A」履修生・市民受講生発表 テーマ 地域探検 信州上田デジタルマップ 10:20 「信州上田学 B」履修生発表 テーマ1.福祉の源流を知る、源流に触れる/農2021-01-16
13別所線別所線ゼミの中間発表の時のパワーポイントです。 この時は、地域散策から感じたことですが、 最終的なパワーポイントは、調べ学習も含めて、内容の濃いものになっていると思います。2021-01-14
14過去記事まとめリンク+α過去記事まとめリンク+α生島足島神社 上田市内のローカルレストラン探訪 #1 ミルキーウェイ 【エモい】夜のローカル鉄道無人駅 【道なき道】くらます山散歩道 上田市内のローカルレストラン探訪 #2 拉麺酒房 熊人 上田市内のローカルレストラン探訪 #3 隠れキッチン 上田駅周辺市街地 上田市内のローカルレストラン探訪 #4 刀屋 2021-01-14
15上田探検 リンク上田探検 リンク柳町の水路 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3343 リンゴの自販機 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3234 道祖神 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3237 熊人(ラーメン屋) http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3239 臼だったもの http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3240 古びた井戸 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3242 刀屋(そば屋)の薬味 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3342 上田城跡公園 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3344 至る所にいる真田 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3345 サマーウォーズ自動販売機 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3346 日輪寺 観音堂 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3564 宗吽寺 http://d-commons.net/uedagaku/admin/content_edit.php?id=3566 常田館製糸場 h2021-01-14
16議事書類綴(1919/大正8年 別所村)議事書類綴(1919/大正8年 別所村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 議事書類綴 ぎじしょるいつづり 請求番号 01-T08-01-13389 文書の種類 旧役場文書 地域 別所村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 1919 作成部課 別所村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 大正8年度歳入出予算、村長退職報告、鉄道敷設に関する意見書、温泉浴槽改修調査書、別所村臨時温泉工事委員規程、大正7年事務報告ほか →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は2021-01-13
17村会書類(1919/大正8年 泉田村)村会書類(1919/大正8年 泉田村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T08-01-1220 文書の種類 旧役場文書 地域 泉田村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 1919 作成部課 泉田村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 渡船場費郡費補助稟請の件、上田市松本間鉄道施設に関する意見書提出の件ほか議事録 →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く)2021-01-13
18村会書類(1917/大正6年 泉田村)村会書類(1917/大正6年 泉田村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T06-01-1216 文書の種類 旧役場文書 地域 泉田村 作成年度(和暦) 大正6年 作成年度(西暦) 1917 作成部課 泉田村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 鉄道停車場位置に関する意見書ほか議事録 →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市公文書館収蔵のものをデジタル化し(非公開部分を除く)、長野大学前川研究室が上田市に歴史公文書等2021-01-13
19鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 鉄道 道路 河川 橋梁 てつどう どうろ かせん きょうりょう 請求番号 01-M31-01-2109 文書の種類 旧役場文書 地域 城下村 作成年度(和暦) 明治31年 作成年度(西暦) 1898 作成部課 城下村役場 保存場所 上田市公文書館 概要 株式会社京釜鉄道株式申込 鉄道敷設の影響調査通知 里道修繕の件 郡補助道編入願 備考 明治34年まで 図面(彩色)あり。裏表紙なし →上田市公文書館目録検索2021-01-13
20別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。 ▼上田市公文書館資料情報 別所線路ニ関スル書綴 べっしょせんろにかんするしょつづり 請求番号 01-M26-01-136 文書の種類 旧役場文書 地域 川辺村 作成年度(和暦) 明治26年 作成年度(西暦) 1893 作成部課 保存場所 上田市公文書館 概要 上田原より神畑に至る里道開削に要する土地収用に関する資料・里道開削潰地小前調査表・別所線橋梁目論見帳ほか →上田市公文書館目録検索システムの当該資料情報 この資料は上田市2021-01-12
21公文書利用で始める地域学講座(2021/02/06開講)公文書利用で始める地域学講座(2021/02/06開講)【受講申込】受講申込は終了しました。 まちなかキャンパスうえだ市民向け講座(長野大学/ネット利用講座) 市民キュレーション講座「公文書利用で始める地域学講座」 開催期間:2021/2/6, 2/13, 2/20, 2/27 毎週土曜日4回 13:30~16:30  ビデオ会議Meet利用、全国から受講できます。受講される方にはMeet URLをお伝えします。 【講座のお問合せ先】◆は@に置き換えてください。  ◎講座申込について 地域づくり総合センター事務局 TEL:0268-39-0007 renkei◆nagano.ac.jp  ◎講座内容について 前川道博(長野大学/講座担当) TEL:090-2270-5074 maekawa◆nagano.ac.jp <講座案内PDF版> ※2頁以降に詳しい説明を載せてあります。 【プログラム】 第1回 2月6日(土) 一次2021-01-12
22芳泉寺【白】芳泉寺【白】上田城の西にある結構大きい規模のお寺です。 とにかく白ベースの綺麗な入口が目立ちますが、中もかなり豪華。本堂と周りに生えている松の木は、これぞ日本庭園という感じでとても堂々としていて壮観でした。 おまけで蕎麦の草笛の蕎麦と豚丼の写真も載せておきます。とても美味しかった上、かなりお手頃な価格なので是非。2021-01-11
23北向観音堂+足湯「ななくり」北向観音堂+足湯「ななくり」別所温泉街の奥の方、安楽寺の反対側にある寺院です。 その手前には伊勢のおかげ横丁の規模をかなり小さくしたような場所があり、コロナの影響かあまり賑わってはいませんでしたが、お土産がかなりの数売られていました。 お堂自体は普通のお寺という感じです。夫婦杉?があるのが目立つポイントというくらいでしょうか。 その後近くの足湯に30分程度浸かりました。ただの足湯ですがかなりリラックスできました。 別所温泉は、肝心の温泉が地元民専用の場所みたいな雰囲気を醸しだしていて、観光客が入りづらいのが大きな難点だと思います。近くのあいそめの湯のような場所がもう少しあるとより観光客も増えるような気がします。2021-01-11
24安楽寺+三重の塔 【鏡面池】安楽寺+三重の塔 【鏡面池】別所温泉街の若干奥地、常楽寺を更に西に行った場所にあるお寺です。 三重の塔を観るには入場料300円がかかりますが、払う価値は十分にあります。三重の塔も勿論壮観ですが、個人的にはどちらかと言うと入って直後にある池の反射がとても綺麗で、底が深いからかまるで異次元を見ているようなものが映し出されます。 写真にもありますが、実際に見てみないと分からないと思います。次は雪が積もった時か、春あたりにもう一度訪れたいです。2021-01-11
25【微絶景】常楽寺+付近からの景色【微絶景】常楽寺+付近からの景色別所温泉街北部の高台にあるお寺です。近くには甘味処があるようです。 また、美術館もあるようですが、入館料500円と規模の割に高値な気がしたので断念。高台なので上田市とその北西部の山々を一望できるスポットですが、木やフェンスが若干邪魔だったのが勿体ないポイントです。2021-01-11
26別所温泉駅別所温泉駅レトロな風貌をしていますが、きちんと整備されていて、懐かしい雰囲気を出しつつも綺麗な駅となっています。袴姿で切符を確認する女性の駅員さんや、鉄道むすめの「八木沢まい」の等身大スタンドが置いてあるのも魅力だと思います。2021-01-11
27上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )上田市大字常磐城字生塚全図(地籍図 1921年 )上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)12月 複製 1921年(大正10年)12月 製図者/測量士 馬場亀松(上田市役所地理主任) 曲尺 壱分ヲ以テ一間トス サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田市大字常磐城(ときわぎ)字生塚(うぶつか)の地籍図である(現在は上田市常磐城四丁目)。地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものを、1919年(大正8年)、上田町の市政施行に伴い、上田市に書き改めたものである。基本的には1890年と同じである。 ★上田市大字常磐城第弐拾参番字生塚全図(PDF)1.1MB 2021-01-11
28小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)小県郡城下村大字小牧全図(地籍図1890年)小県郡城下村大字小牧全図(上田市税務課所蔵) 調製 1890年(明治23年)5月 縮尺 3,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 城下村大字小牧(地籍図作成当時、現上田市小牧)の「地籍図」を基に作成した地図。 図版は上田市税務課所蔵の当該地籍図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★小県郡上田町全図(PDF)1.2MB 小県郡上田町全図(高精細JPEG画像)18420×13080ピクセル 115MB 2021-01-11
29私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ②私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ②『ムシ歯予防デー(昭和12年6月1日)』通しp732 『ムシ歯予防デー(昭和12年6月1日)』についての私の意見を述べる。『歯の衛生と農村保健運動とは重大な関係を持つて居ります。』という書き出しにインパクトを感じ選んだ。現在の「歯と口の健康習慣」(6月4日~10日)はこの虫歯予防デーが元である。私は予防医療が浸透した時代に生まれたが、予防医療の発達以前はどのような取組み・姿勢だったのか興味がある。当該記事では『病は口より入る』の諺や『私達の病気は口から入つていくと言つてもいい位で、言はば病気の通路みたいなものと言へる』と、概念的に理解しやすいような記述が見られる。2021-01-10
30私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ①私の『西塩田時報』面白記事ピックアップ①『部落ニュース(昭和12年5月7日)』通しp727~728 私が面白いと思ったのは『部落ニュース(昭和12年5月7日)』だ。部落ごとのあらゆる事柄が記録されている。現在でいう町内会単位での出来事が書かれていることにたいへん驚いた。というのも、決定事項や行事に関する事柄についての記録は現在であれば町内会・自治会で共有される枠を超えることは少ないからである。そういった比較的クローズドな記録が西塩田全域で共有されていることに、地域ネットワークとしての西塩田時報の範囲の広さを感じた。また、昭和12年(1937年)当時は戦時下ということで、女性の連帯組織の活動がたいへん多かったのだと分かる。「倉野」の欄には、「女子消防組」や「パン講習」の記録がある。いずれも戦時下での空襲対策や食糧確保の一環としての講習会であろ2021-01-10
31小県郡上田町全図(1901~1910年頃)小県郡上田町全図(1901~1910年頃)小県郡上田町全図(上田市税務課所蔵) 制作年代:1901~1910年頃 縮尺12,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田町(地籍図作成当時)全域の「地籍図」を基に町全図として作成した地図。上田町各地の字が一瞥できる。 制作年代は不詳ながら、「上田尋常男子小学校」(1901~1922)、「小県蚕業学校」(権現坂上の時代 1900~1922)が記されている。また上田蚕糸専門学校(1910~1951)は記されていないことから1901~1910年(明治34~43年)の間の地図と推定される。 図版は上田市税務課所蔵の当該地図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★小県郡上田町全図(PDF)1.3MB 2021-01-10
32別所温泉別所温泉現在別所温泉では、観光客の減少による、旅館経営の難化が顕著にみられる。そのため、別所温泉の魅力を再確認、新規発見することによって、新たな観光客の獲得やリピーターの確保につなげたいと考えたため。 そのために、現在旅館経営者と個人的に提携し、観光マップを作成している。このようなことの他に、更なる観光資源の発見や、現存する資源の再発掘をメインにアウトプットしていきたい。 具体的には、別所関係者から話を聞くことはもちろん、長野大学附属図書館の書籍やインターネットで調査していきたい。2020-12-22
33別所温泉別所温泉現在別所温泉では、観光客の減少による、旅館経営の難化が顕著にみられる。そのため、別所温泉の魅力を再確認、新規発見することによって、新たな観光客の獲得やリピーターの確保につなげたいと考えたため。 そのために、現在旅館経営者と個人的に提携し、観光マップを作成している。このようなことの他に、更なる観光資源の発見や、現存する資源の再発掘をメインにアウトプットしていきたい。 具体的には、別所関係者から話を聞くことはもちろん、長野大学附属図書館の書籍やインターネットで調査していきたい。2020-12-22
34上田市の発展について上田市の発展について前期の講義で地方自治について学習しました。その時に地方自治の観点から上田市の発展についてやったので、それを生かして自分でも歴史や上田市の発展について調べたいと思ったからです。2020-12-22
35HOWTO本(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)HOWTO本(『西塩田時報』第31号(1926年6月1日)1頁)「乳児の育て方」と言うタイトルで、小さい赤ちゃんの様子から、どの様にお世話したら良いのかが細かく書いてあります。 離乳食のレシピや、外出についてのアドバイスなど、 読んでいてとても面白かったです。 「地域の記録」と言うイメージが強かった為、この様な内容の記事もあるのだなと驚きました。2020-12-22
36塩尻ワインについて塩尻ワインについて長野県は、「ワインの生産量」「ワイナリーの数」が、日本で2番目に多い県です。長野パープルなど、美味しいぶどうをたくさん作っている県ですから、ワインも多いよなあ、とは思っていましたが、国内2位とまでは思っていませんでした。(一位は山梨県になります) 私は個人的にワインがとても好きなので、長野県内のワインについて調べ、地域の特徴を比べようと思ったのですが、もう少し地域を特定しようと思い直し、長野県の中でも塩尻ワインについて調べてみることにしました。 まず地域の特徴を調べ、ワイナリーの数や、歴史、どの様な変化(知名度の変化、種類や数の変化)があったかなどを調べていきたいなと思います。2020-12-22
37驚くべき不正肥料(『西塩田時報』第33号(1926年8月1日)4頁)驚くべき不正肥料(『西塩田時報』第33号(1926年8月1日)4頁)数多くある記事の中でも、タイトルが目についたのでつい読んでしまいました。 「とんでもない成分が入っていて、ぐんぐん育っちゃう肥料なのだろうか」と想像しながら読んだのですが、 書いてあるのは、 「表示されている成分量と、実際に入っている成分量が違う」という「不正肥料」でした。 今も昔も問題になる事は同じですね…2020-12-22
38上田地域の人口推移とその土地の発展について上田地域の人口推移とその土地の発展について私は上田地域に住み始めて2年が経過しようとしている。その上田地域がこれまでどのような姿で、どのように発展し、今の形になったかが気になった。それが、このテーマを選んだ理由である。 そのため、古い地図や人口について書かれた書物を中心に、調べてみるつもりである。2020-12-22
39新潟亀田の土地の特性と生活習慣新潟亀田の土地の特性と生活習慣私の地元亀田は海抜が低く、つねに浸水しているような場所であった。しかし、稲作をし、港町から近いということもあって物流も盛んだった。困難な状況でも人々は亀田の土地を選び生活していた。その特殊な状況で人々は何を考えてどのように生活していたのか知りたいと考えた。 また、現在、海抜が温暖化の影響で高くなることが問題となっている。世界を知るためにも、まずは身近にあった事例から見ていくべきだと感じた。海抜が高くなることで、人々の生活はどのように変容するのかもここから見れればいいと考えている。 調べる時には、亀田図書館に行き、資料を探す予定である。さらに、越後佐渡デジタルライブラリーからも資料を探すことにする。 https://www.pref-lib.niigata.niigata.jp/?page_id=11292020-12-21
40上田市の重要文化財上田市の重要文化財テーマを選んだ理由は、上田市の重要文化財に指定されている信濃国分寺について調べたいと思ったからである。 信濃国分寺の歴史を主に探求したいと考えている。 調べる方法としては、実際に信濃国分寺に行ったり信濃国分寺資料館を訪れたいと考えている。また、信濃国分寺のホームページなども活用して調べていきたい。2020-12-21
41海野宿と海野町商店街の関係性海野宿と海野町商店街の関係性・なぜその探求テーマを選んだのか  私の住んでいる長野県東御市には、江戸時代に北国街道の宿場だった海野宿がある。また、長野県上田市には、海野町商店街という商店街がある。海野宿も海野町商店街も隣り合っている市にあるため近く、海野という名前が共通しているため、何か関係があるのか気になった。そのため、この探求テーマを選んだ。 ・何を探求しアウトプット化するのか  海野という名前の由来や関係する人物、事柄に関して調べ、海野という名前から東御市の海野宿と上田市の海野町商店街の関係性を探求し、アウトプット化したい。 ・具体的にどのような資料を調べるか  長野大学附属図書館の資料と東御市や上田市の市のWebサイトを調べる。  長野大学附属図書館にあり、調べる予定の資料  ・上田市誌 / 上田市編さ2020-12-21
42上田市と岡谷市における蚕業の比較上田市と岡谷市における蚕業の比較・地域探求テーマ 「上田市と岡谷市における蚕業の比較」 ・この探求テーマを選んだ理由 私の地元では、小学校の地域学習として岡谷蚕糸博物館や宮坂製糸所の見学を行っており、蚕業を身近に感じる機会が多くあった。また、上田市と岡谷市は蚕業が盛んであったことが共通しており、それぞれの蚕業の歴史の仔細や、そこに共通点があるかどうかについて興味があるから。 ・探求しアウトプット化すること 上田市と岡谷市の蚕業の歴史や当時の様子について探求するとともに、そこから共通点や相違点等を見つけ出し、記事にまとめて投稿したい。 ・具体的に調べる資料 信州上田デジタルマップ 信州デジタルコモンズ 長野大学附属図書館の地域資料室 岡谷蚕糸博物館 など ・調査記事一覧 2020-12-21
43上田で愛されている食べもの上田で愛されている食べもの上田市あるいは長野県の地元の方に愛されている食べ物をいくつか取り上げてみたいなと思っています。 以前から課題等でも上田や長野県の食べ物について興味を持っていると書かせて頂いてはいるのですが、中々自ら調べたり赴いたりできていない現状があるということと、折角なら長野県に居る今の内に色々なものを知り、食べたいなと考えていることもあったのでこの機会を是非活かしたいと思い、テーマ設定をさせて頂きました。 実際に食べてみたいので、調べることは具体的にどのような料理があるのか、どこで食べられるのか、どう作るのかなどを中心にネットを活用し調べたいと思っています。 調査記事一覧 くるみそば(和菓子) うちいれ2020-12-21
44上田城の歴史と真田丸での経済効果上田城の歴史と真田丸での経済効果上田に住んでおり上田城跡は身近なものであるが、果たしてどんな歴史がありどのように変わっていったのか気になったから。また、真田丸でどれくらい上田城に人気がでて上田市が上田城を使いどのような取り組みをしたのか気になったから。 上田の歴史と上田城の歴史、、昔の城の写真などを調べその変化がわかるようにマイサイトは投稿する。真田丸での上田市の経済効果を分かりやすくまとめる。 上田市のホームページが今のところ第一候補です。2020-12-21
45「私の地域探求」計画「私の地域探求」計画テーマ 「上田市の成り立ちと発展」 このテーマを選んだ理由は上田市について一般的な情報は自分の中であるのですが、そもそもこの上田という町の初期の頃から、今に至るまでの道のりを知らないと感じ、それについて詳しく探求したいという思いから出てきました。 上田市の資料をなるべく多く拝見し、それをまとめ、簡潔にしたものをアウトプットしていきたいと考えています。 具体的にどの資料を参考にするかはまだ未定ですが早めに絞り出せたらと考えています。2020-12-21
46太平洋戦争における上田地域の状況太平洋戦争における上田地域の状況上田地域は上田合戦や太平洋戦争など数々の戦いに関わっているが、とりわけ日本の総力を挙げて戦った太平洋戦争では様々なモノ・事・人に影響が出ている。そのような状況を上田地域ではどのようであったのか調査したいと思う。どんな生活だったのか、行政は何をしていたのかなど見ていき当時の戦争を考えていきたい。ネット情報や「西塩田時報」のような資料、国会図書館デジタルコレクション、上田市立公文書館などで戦争に関する資料(農業や徴兵、訓示など)を調べる予定。 「西塩田時報」を中心に調べた結果。 農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁) 農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁) 2020-12-21
47群馬県から出土した歴史的遺産群馬県から出土した歴史的遺産〇地域探求テーマ ‐群馬県から出土した歴史的遺産 〇選んだ理由 ‐群馬県は国宝・国指定重要文化財に指定されている埴輪の45%を出土していたり、大型古墳数が全国4位を誇る程歴史的遺産が多く出土していたりと県民が誇れるほどの古墳県である。実際私が通っていた小学校の敷地内にも古墳があり、『蛇塚古墳』といいおおよそ6世紀後半の遺跡であった。そこから出土した馬型埴輪は重要文化財に指定されている。そのため群馬から出土した歴史的遺産は他にどう言ったものがあるのか興味を持ったから。 〇探求・アウトプット化内容 ‐出土した遺産(文化遺産等に指定されているものを中心に)の種類・そのものの歴史的背景・それから考えられる地理的歴史的特徴 ‐出土したモノから歴史を辿る面白さ・個人の地域の歴史的遺産について知る2020-12-21
48上田駅周辺の変化上田駅周辺の変化いつも使う上田駅だが、どのように今の形に変化していったのかは知らない。なので、この機会に昔の地図と今の地図を見比べて、昔はどのような場所だったのか・どのような変化をしてきたのかを調べてみようと思い、このテーマにした。 どのように変化して発展してきたのかを自分なりの視点や感想でまとめていきたいと思っている。 調査方法として、現在使われている地図やデジタルマップと昔の地図を見比べるという方法をとる予定でいる。2020-12-21
49上田市の伝統工芸について上田市の伝統工芸について私は、上田市の伝統工芸について調べようと思う。 上田市の伝統工芸といえば、上田紬と農民美術の二つが挙げられる。上田紬は江戸時代から、農民美術は大正時代から今現在まで大切に受け継がれてきた。私は、この魅力ある上田市の伝統工芸についてさらに深く知りたいと思い、このテーマを選んだ。主に農民美術について調べようと思う。 インターネットだけでなく、図書館などの施設も利用し、調べていきたいと思う。2020-12-21
50上田地域における食生活の歴史上田地域における食生活の歴史上田市には、美味だれ焼き鳥など多くの日本人からも愛されそうな固有の食生活があるのに対し、昆虫食、特にイナゴなど上田地域以外の日本人からは敬遠されている食生活などが多くある特徴的なものになっているので、調べてみたいと考えた。 ウェブサイトや図書館を利用して調べたいと考えています。2020-12-21
51私の地域探求私の地域探求*地域探求テーマ 群馬県で有名な伝統工芸品「だるま」の歴史 *なぜそのテーマを選んだか 大学1年生の時から、群馬から上田に通学していて、主な生活拠点が群馬になる。上田に行って何かを詳しく調べるということがしにくいため調べる地域を群馬としたい。群馬には、いたるところに大小さまざまで片目がないだるまが置いてあって、「高崎だるま」と呼ばれている。群馬でだるまで有名であるその背景や、現在のだるまの使われ方、街のどこに置いてあるかなど、調べてみたいと思ったから。 *何を探求しアウトプット化するか ・群馬のだるま文化の歴史・現在のだるまの在り方について(種類や用途など) *具体的にどのような資料を調べるか ・文献(群馬県立図書館) ・街にあるだるまの実物 *補足 余裕があれば 上田市の農民2020-12-21
52上田の生糸、紬について上田の生糸、紬について私は上田の生糸や紬について調べようと思う。 このテーマを選んだ理由は、上田紬には約400年の歴史があり、江戸中期には京都や江戸の多くの人々に愛用されていた。また、日本三大紬の一つでもある。 このような魅力がある上田の生糸や絹織物の特徴や歴史ついて調べ、上田をより知っていきたいと考えたからである。 調べた情報などをマイサイトなどを使い情報発信できるようにしていきたいと考える。 そのため、他のサイトや地域資料館などを使用し資料を調べていきたいと考えている。2020-12-20
53伊那の昆虫食伊那の昆虫食伊那市では、昆虫食というと学校給食において提供されるほど身近なものですが、その文化を詳しく知りません。そのため、このテーマを設定しました。 伊那市の昆虫食文化の背景や特色について、市報やウェブサイト等の資料を活用し、探求していきたいと思います。2020-12-20
54北沢大石棒北沢大石棒佐久穂町 説明板より 北沢川の大石棒  今から四千数百年前(縄文時代中期)眼前に広がる南台地に生活していた人々が、動植物の豊穣と人間の甦りを願っての信仰のシンボルとして、豊かに湧きあがる泉のほとりに建立したものと思われる。なおこの石棒は、日本最大のものとして知られている。 [石棒] 二.二三メートル、溶結凝灰岩(佐久石) [石柱] 柱状節理流文岩 昭和六十二年八月  佐久穂町教育委員会  (※当初の説明板の記述は「佐久町教育委員会」だったと思われます。)2020-12-20
55蚕都上田の蚕の歴史蚕都上田の蚕の歴史上田市の歴史について調べようと思っていたが、広すぎてしっかり調べられないかもしれないことと調べる事柄をしぼって調べやすくしたかったことから、このテーマにした。 上記の通り歴史について調べたいと思っているため、上田の蚕の歴史について成り立ちなどを重点的に調べてアウトプット化したい。 上田の歴史と蚕の歴史についてのものを探して調べる。2020-12-20
56西塩田時報第4号 大正13年4月1日西塩田時報第4号 大正13年4月1日村役場の、土木に関する調査の結果や、小学校で入学した生徒の人数などが記載されている。これにより、この時の西塩田の様子や、どれだけの学生が存在していたかを知ることができてとても興味深いと思う。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0022.jpg2020-12-19
57信州上田デジタルマップのUIと今後の使われ方について信州上田デジタルマップのUIと今後の使われ方について私は、以前から興味があったUI,UXの視点から市民によるデジタルアーカイブ化を促す方法を考えてみたいと思う。 今まで信州上田デジタルマップを使ってみて、課題や使いにくさを感じたことが何度もある。そういった点が放置されていると、ただの「授業教材」になってしまうと考えた。 デジタルマップを使うことで、知識循環社会への変革を促すとしたら、まずこのサイトが使いやすく、マイサイトへ投稿することが自分にとって意義のあることであると感じてもらわなければならないだろう。 そのために、まず仮設として「UI,UXが市民にとって使いやすいものではないのではないか」ということを、他のサイトや実際に使ってみての感想などから考察していきたいと思う。2020-12-19
58韓国の観光名所韓国の観光名所いつも思っていたテーマで、日本に比べ韓国は世界の人々が注目できる有形観光スポットがあまり思い浮かびません。 今回の課題を機会に韓国の観光名所について調べてみたいと思います。2020-12-19
59サマーウォーズに関する上田市の取り組みと成果サマーウォーズに関する上田市の取り組みと成果聖地巡礼に興味関心があり、地域とアニメーション作品の在り方と両者を組み合わせた地域活動に関する事例に多く触れたいと感じたから。 上田市の取り組みがどのようなもので、それによりどれほどの成果が出たのか。 上田市hp サマーウォーズイベントの記事2020-12-19
60上田市の観光資源上田市の観光資源別所温泉誌 NPO長野県図書館等協働機構/信州地域資料アーカイブ 上田市は観光地というイメージがある。 上田市にどのような観光資源があるのかを調査。利用方法や客層を調査しました。 上田の観光資源といえば別所温泉。この資料には別所温泉、別所村の地理と歴史の概要が記されています。 この本は明治時代に刊行されており、当時から観光地として発展していっていたほか、湯治を行う場所として医療の面でも大いに利用されていたことが正しい入り方、利用の仕方を本の中で解説されていることから詳しく理解できます。2020-12-18
61上田と沼田の歴史観の違い上田と沼田の歴史観の違いこのテーマを選んだ理由は、地元の沼田市と上田市はどちらも真田の里ということで共通点がある。どちらにもアクセスできるという利点を生かして調査を進められると考えたからだ。 主な着眼点としては、同じ内容の歴史に対して、上田と沼田ではとらえ方がどう違うのかということに注目してみたい。 調査方法としては、両方の地方の資料館及びサイトにアクセスしてみて、それらに触れてみたいと考えている。2020-12-17
62上田探検 番外編上田探検 番外編自分のテーマが決まって再度上田探検へ行きましたが、時間があまりなくて一か所くらいしか行けませんでした。カフェを探すということで、「ぷちらぱん」というお店へ行きました。オムライスの種類が多くあって、お店の雰囲気もとてもよかったです。お店の方が気軽に話しかけてくれたので、良い時間を過ごすことができました。2020-12-16
63松尾町商店街の歴史的変遷松尾町商店街の歴史的変遷この探求テーマを選んだ理由は、私自身生まれも育ちも上田で、長年上田に住んでいることから、昔のから今現在までの地元の街の歴史の変化について知りたいと思ったからである。しかし、上田市全体となるとなかなか調べきれないため、今回は通勤者や通学者など比較的多くの人が通ったりする松尾商店街に焦点を当てて、歴史的変遷を調べていきたいと思う。 歴史的変遷ということで、主に上田駅の目の前にある松尾町商店街を中心に街の様子はどのように変化してきたのかを調べて、場所ごとに細かくその変化が分かる写真をマイサイトに投稿していきたい。 具体的な資料については、ネット上で歴史の変化が分かる地図や資料などをもとに調べていきたいと考えている。2020-12-16
64卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)卒業生の名簿(『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁)この記事は西塩田時報に載っていた当時昭和26年3月の卒業生の名前が書かれています。 この記事の面白いところは今では恐らくあり得ないということです。 卒業生の名簿は顔写真が載っていないとしても名前は立派な個人情報です。 今の世の中で例えるならば、新聞にどこの学校を卒業した何組の誰さんと載る訳で様々な親御さんがいる中、このようなことになれば当然のごとくクレームが入るのではないかと思います。 誰でも読むことができる時報に公に個人情報を載せられるのはこの時代だからこそだと思うので、今とは異なるという意味で面白いなと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1124 『西塩田公報』第47号(1951年3月10日)2頁2020-12-16
65雑草 (『西塩田時報[戦前]』第30号(大正13年12月1日)4頁)雑草 (『西塩田時報[戦前]』第30号(大正13年12月1日)4頁)この記事は大正13年12月1日に書かれた記事です。 雑草という題名と季節に惹かれて選びました。12月のはじめという冬の寒さを表しており、水槽の水の色も草の色も変わり冬本番を表した記事になっています。 冬の様子や景色など書かれていてとうじの冬を感じられます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #62 『西塩田時報』第13号(1924年12月1日)4頁2020-12-15
662020年11月4日前橋県庁2020年11月4日前橋県庁前橋市にある県庁前で行われたドラマの撮影を見に行った時の写真。 アップの県庁と、バックの空模様がお気に入り。 この日はとても寒かったような気がします。 撮影では竹内涼真がちらりと見えました。2020-12-15
67夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁家庭で作る夏の料理のレシピを紹介した記事。 「いかの桃和え」や「れんこん飯」「エッグのプラントサラダ茄子のサラド」など馴染みのないレシピが紹介されている。 文字を追って工程を想像するだけでも楽しい。 これを参考にすれば昭和の料理を味わうことができるかもしれない。 名前の間違いがペンで直されているのもレアではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁2020-12-14
68入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)この記事は、親御さん宛に、小学校入学前の子どもに教育しておいてほしいことが書かれている。 親であれば教えているような基本的な内容ではあるが、箇条書きで、マナーから、友達や先生との接し方、家庭での生活に関わることまで、とても細かく書かれていて驚いた。 わたしが小学校に入学するときに「これはできていないとだめ」「せんせいやともだちとはなかよくしなさい」などと教育された覚えがない。当時西塩田地域では記事のように徹底して教育されていたのだろうか。この記事を読んでから、この時代の教育に興味が湧いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #976 『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁2020-12-14
69吾が村の養蠶業を探る(『西塩田公報』第81号(1954年6月5日)3頁)吾が村の養蠶業を探る(『西塩田公報』第81号(1954年6月5日)3頁)私の地元である岡谷市でも蚕業が盛んだったため、この記事に興味を持った。 桑芽が予想外の晩霜のため凍害となったことや、広報部員が飼育所を訪問した際に給桑室から楽しそうな合唱の歌声が流れて来たことなどが書かれており、当時の養蚕業の様子を事細かに知ることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1251 『西塩田公報』第81号(1954年6月5日)3頁2020-12-14
70緑化運動に寄せて『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁緑化運動に寄せて『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁緑化運動についての意見が書かれた記事。戦争によって失われた信州の情景の美しさ心の豊かさを説き、気持ちを奮い起こさせている。 『戦いは破壊のみに終つた。』 戦後の景色と人々の思いが伝わってくる最初の一文。 戦後まだ間もない人たちの、緑を、信州を愛する思いに触れ、私たちも今一度、森林問題について関心を向けるべきであると思わせられる。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁2020-12-14
71第一回女性討論會開かる(『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁)第一回女性討論會開かる(『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁)この記事は、昭和23年3月11日に女性のみが集まって行われた討論会の内容について書かれている。 この記事の面白いところは、当時の女性たちの抱えていた問題や、彼女たちの考えを知ることができるという点である。 特に「結婚上の問題について」という項目から、当時らしい寵愛結婚か見合結婚かという議論や、現代でも増えている結婚の簡略化や結婚費用の問題などについて討論されていたことに対して、興味深く感じられた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1009 『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁2020-12-14
72広告(『西塩田時報』第193号(1939年12月1日)2頁)広告(『西塩田時報』第193号(1939年12月1日)2頁)1941年に太平洋戦争が開戦することを考えると、まだ随分豊かな広告が流れていたと思い、気になった。誰に向けた広告なのだろうか。 地主が居たことを考えると、その富裕層に向けたものであるかもしれない。戦地の兵隊のためにこれを購入し送るものもいたかもしれない。2020-12-14
73皆様と共に(『西塩田青年時報』第1号(1946年8月25日)1頁)皆様と共に(『西塩田青年時報』第1号(1946年8月25日)1頁)私が気になったのは、この投稿の内容ではなく、この投稿自体に関してである。左下に原稿募集の文字がある。つまり、これは市民投稿によって成り立つ地域誌であるということがわかる。住んでいる人に寄り添った記事作りもさることながら、一緒に作り上げるという意味でこれは非常に有益であると考える。2020-12-14
74『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁『弱きものよ、汝の名は農民なり』という題名の、秀三という人の詩のようなものが載せられている。 この詩は、サブタイトルに「~わが農村の人たちへ送る~」とあるように、西塩田の農民の人たちを鼓舞し励ましつつも政府を風刺している。 この記事は、西塩田時報が西塩田の人々に寄り添ったものであることがよくわかる記事で、詩の内容もとてもいい詩だなと感じられるものだった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #9『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁2020-12-14
75人間のくひもの(『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁)人間のくひもの(『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁)この記事は「人間のくひもの」という見出しで、恐らく川邊時報を見た人が書いたと思われるものです。 人が食べるものを6つの項目に分けてその特徴と共に書かれています。 この記事では、今で言う五大栄養素のようなものだと思いますが、5番目に「液体をあたへるもの」と書かれているのを見た時に、急に項目の毛色が変わったように感じ面白いなと思いました。 また、最後のそれぞれの項目に当てはめた6つのアドバイスのようなものを見た時には思わずクスッと笑ってしまいました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #294 『西塩田時報』第67号(1929年6月1日)4頁2020-12-14
76『西塩田時報』第15号(1925年2月1日)1頁『西塩田時報』第15号(1925年2月1日)1頁この記事の主な内容は、補習教育についてである。 現代より前から補習というものがあったことがわかる。 「人間の改良こそ、凡ての改良案の出発点で到着点であらねばなりません。」という文章があり、補習教育がどのような目的であるのか改めて理解できる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #67『西塩田時報』第15号(1925年2月1日)1頁2020-12-14
77「西塩田時報」第104号(1956年5月5日)「西塩田時報」第104号(1956年5月5日)西塩田時報が廃刊になる最後の刊の、最後のページである。 筆者目線から時報や広報が残ることの意味を考えていて、興味深いものだと思う。2020-12-14
78『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁『弱きものよ、汝の名は農民なり』という題名の、秀三という人の詩のようなものが載せられている。 この詩は、サブタイトルに「~わが農村の人たちへ送る~」とあるように、西塩田の農民の人たちを鼓舞し励ましつつも政府を風刺している。 この記事は、西塩田時報が西塩田の人々に寄り添ったものであることがよくわかる記事で、詩の内容もとてもいい詩だなと感じられるものだった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #9『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)1頁2020-12-14
79祝 成人(『西塩田時報』第78号(1954年2月5日)1貢)祝 成人(『西塩田時報』第78号(1954年2月5日)1貢)モノクロではあるが成人式の様子として写真が載っていて目にとまった。 日本文化を継承し創造、発展させる責任があることを自覚するように書かれていたり、若い人の元気や良さを失わないようにと書かれている。 今年成人になるので成人としての自覚を持って行動するべきだと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1231 『西塩田公報』第78号(1954年2月5日)1頁2020-12-14
80「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項日本国憲法が掲載されている。記事の日付からも確認できるだろうが、日本国憲法の公布日は1946年11月3日であるのに対しこの記事は25日の記事だ。つまり当時としてはまだ交付されたばかりの憲法は非常に重要でタイムリーな情報だったのであろうことがわかる。2020-12-14
81「西塩田時報」第119号(1933年10月1日)4項「西塩田時報」第119号(1933年10月1日)4項西塩田時報」第119号(1933年10月1日)4項に掲載された記事。中でも「野尻湖遊覧の今昔」という記事は私たちにとっての昔の記事が、その私たちにとっての昔という時系列的な地点から見た昔を考察するという点において非常に面白いものである。2020-12-14
82村のトピック (『西塩田公報』第95号(1955年8月5日)4頁)村のトピック (『西塩田公報』第95号(1955年8月5日)4頁)村のどこで何が行われていたのか、ということはあまり知らないこともあるのではないだろうか。この記事では、村のどこでどんなことがあったのかトピックにまとめられており、分かりやすく知ることができる。 かねてより懸案中だった新型モーターを買ったというトピックもあれば、映画会を行なったり労組県大会に出場といったりした様々な村の様子を知ることができる。中にはユーモアにあふれたトピックもあり、見てみるだけでも面白いのではないかと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1310 『西塩田公報』第95号(1955年8月5日)4頁2020-12-14
83民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)戦後日本が民主主義を採用することは必然であり、日本独自のデモクラシーを建設して日本の存在意義や世界への貢献としようという記事。 終戦後日本は民主主義国家へとなっていくがアメリカやイギリスの真似ではなく日本独自の天皇を戴く民主主義を建設しなければならないといったような内容が書かれており、国家のアイデンティティというものを考える面白い記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #953 『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁2020-12-14
84タバコ被害を無くすために(「西塩田時報」第98号(1955年11年5日)1項)タバコ被害を無くすために(「西塩田時報」第98号(1955年11年5日)1項)この記事は、タバコの被害に関した記事なのだ。私は、この記事を見て、この時代にもタバコ被害があったということに驚いたからだ。 しかし、このタバコ被害は現代とは少し違く、タバコ栽培と養蚕経営者との問題であった。 時代背景が良くわかる記事でとても面白いと思う。 この記事は以下から参照できます。 #1319 『西塩田公報』第98号(1955年11月5日)1頁2020-12-14
85虫牙虫発生と防除法(「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項虫牙虫発生と防除法(「西塩田時報」第4号(1946年11月25日)1項私は、この記事が面白いと思った。この記事には、この時代の農作物情報も載っており、豆牙虫の防除方法まで書いてある。 また、この時代にこの虫のせいで大きな損をしたことも書いてあり、時代背景が良くわかる記事だなと思った。 この記事は以下から参照できます。 #963 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁2020-12-14
86麥の増産に就て(『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁)麥の増産に就て(『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁)農會欄での記事。 戦争の影響による食糧不足となっているため、増産させようという内容。 戦争の影響の他に“大東亜戦を勝ち抜く爲にとどんな苦痛も御互に忍んで行きませう。”といった戦争に対する国民の精神をも見て取れる記事であり、大東亜戦争の歴史の一端を知ることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #949 『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日)1頁2020-12-14
87家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)家庭メモ (『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁)今では衣服にしみを付けてしまったらしみ取りで簡単に取ることができます。しかし、昔の人たちはどうしていたのでしょうか。そのようなことを知ることができるのかこの記事です。 身近にあるもので工夫してどのように生活してきたのか、という家庭の工夫が詰まっています。今の便利になった世の中から見たら、こんなものでこんなことをしていたのかという過去の新たな発見をできる面白い記事なのではないでしょうか。 この家庭メモはしみ取りのほかにも、おいしいイモの食べ方や秋の漬物のレシピなど先人たちの知恵が詰まった記事になっています。いまでも役立つ知恵がたくさん出てくるので、気になるものを探してみるのもいいかもしれません。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1260 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁2020-12-14
88火鉢を圍んで(西塩田時報第4号(1924年4月1日)4頁)火鉢を圍んで(西塩田時報第4号(1924年4月1日)4頁)冷 泉という方の「火鉢を圍んで」という作品だと思うが、「幸福な生活・文化生活」について話す二人の会話を記事にしたようなものである。 甲が「幸福な生活・文化生活」についての自分の考えを一方的に話しているようなものであったが、内容も興味深いものであった。また、乙の返答や、最後の会話の終わり部分が面白いなと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #18 『西塩田時報』第4号(1924年1月1日)4頁2020-12-14
89トタン箱育注意要項(『西塩田時報』第127号(1934年6月1日)2頁)トタン箱育注意要項(『西塩田時報』第127号(1934年6月1日)2頁)長野県蚕業試験場の試験成績を抜粋し、箱育のメリットやデメリットについてまとめている。 今回選択したものは、蚕の箱育についての記事だが、西塩田時報には、この他にも多くの蚕関連の記事が掲載されており、上田の人々にとって養蚕がいかに大切であったかを感じることができる。 ▼この記事は以下から参照できます。#562 『西塩田時報』第127号(1934年6月1日)2頁2020-12-14
90禁酒(西塩田時報第1号(1923年7月1日)4頁)禁酒(西塩田時報第1号(1923年7月1日)4頁)飲酒している人に対して、飲酒することのデメリット・飲酒している人の特徴などをいくつも挙げ、禁酒をするよう言っているところが面白い。飲酒に対しては、昔も今もあまり変化なく、この記事は現代でも通用すると感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #4 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁2020-12-14
91養狸の将来性と品種の選択について(『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁)養狸の将来性と品種の選択について(『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁)養狸という言葉が目に留まった。 毛皮獣の飼育を奨励する記事で、事業を成功させるためには、品種の選択に最も注意を払わなければならないということが書かれている。 毛皮獣飼育が普及した社会的・文化的背景やその終息など、さらに深く掘り下げたくなる記事であると感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。#820 『西塩田時報』第184号(1939年3月1日)2頁2020-12-14
92謹んで諸兄の御冥福を祈る(『西塩田時報』第17号(1948年7月25日)3頁)謹んで諸兄の御冥福を祈る(『西塩田時報』第17号(1948年7月25日)3頁)第二次世界大戦で亡くなった方々の冥福を祈る内容と、国が行った侵略戦争の悔い嘆くと共に平和への道を築くと誓う内容の記事である。また、戦死した上田市に住む人々の名前や死因などが記載されている。 敗北した日本で生き残り、そして戦争の実態を知って悔恨の念を感じながら平和を実現すると心に誓うという凄絶な内容に心を打たれた。 ▼この記事は以下から参照できます。(戦死した方々のリストも以下URLで閲覧可能) #1021 『西塩田時報[戦後]』第17号(1948年7月25日)3頁2020-12-13
93君たちは幸福だ(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁)君たちは幸福だ(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁)ヒコーキという作家か匿名住民が、同年に愛人と心中した有島武郎に影響されて自殺していく若者について語っている。 概要は「信じる人に命まで捧げられる君たちは幸福だ。今まで古い考えを壊していくのが若者であり、文化というやつなのだろう。」という感じなのだが、私には「信じる人に後先考えずに命まで捧げちゃう君たち若者はオメデタイ奴らだな」と皮肉っているように見えた。 このヒコーキという人は様々な記事でこのような皮肉を込めたような記事を書いているので、他の号でも探してみたい。 ▼この記事は以下から確認できます 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)4頁2020-12-13
94禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)禁酒(『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁)全体がラップ調に感じられるほどテンポが良く、酒を飲むことで起こる様々な弊害を語っていた。最後には禁酒をして、貯金をしよう、と締めくくられるのだが、授業内であったように若者がこのような文章を書いていると思うと、いかに酒で壊れる部分が多く、いかに金銭的余裕がなかったかを伺わせる。 個人的パンチラインは、「ホントに仕様がない仕方がない。一生出世の望みがない。望みがないからやけが出る。~四百四病の其の本も、貧の病の原因も、酒でないとは言はせない。」のあたり。 ▼この記事は以下から確認できます 『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)4頁2020-12-13
95産業組合欄(『西塩田時報』第181号(1938年12月12日)2頁)産業組合欄(『西塩田時報』第181号(1938年12月12日)2頁)産業組合からの物価高騰による消費節約を進めるお知らせと、鳥の飼育についてのお知らせが記載された記事である。 記事の中には産卵能力を向上させることのできる餌について書かれており、そんな餌の存在を初めて知ったため、何故産卵能力を向上させることが出来るのか、そのメカニズムについて知りたいと大変興味を持った。 戦前からそんなものがあるということは、現在の養鶏場もこういった特別な餌を用いているかどうか気になったため調べてみたいと思う。 ▼この記事は以下から参照できます。 #806 『西塩田時報』第181号(1938年12月12日)2頁2020-12-11
96學校たより(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁)學校たより(『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁)保護者の方から小学校児童の体格が良くないといわれたらしく、それに対し学校側が全国平均と比較することで問題ないと回答している記事である。 ここで掲載されている身長・体重・胸囲ともに数字の単位が現在私たちが用いるメートル法とは異なり尺貫法を用いているようだ。以下が私なりに調べて出した数値と現在の全国平均との比較である。 ・身長の単位:分(1分=3.0303㎜) -当時7年生:106㎝(男)105㎝(女) -現在(令和元年)小学1年生:116㎝(男)115㎝(女) ・体重の単位:匁(1匁=3.74g) -当時7年生:17㎏(男)16㎏(女) -現在(令和元年)小学1年生:21㎏(男)20㎏(女) ▼この記事は以下から参照できます。 #7 『西塩田時報』第2号(1923年9月1日)3頁2020-12-11
97皆さん!!風邪に気をつけましょう(『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁)皆さん!!風邪に気をつけましょう(『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁)インフルエンザに感染しないように注意を呼び掛ける記事である。当時(昭和31年3月)はまだインフルエンザにかかった人は少ないが寒暖差が激しい春先が危険な時期と明記されている他、インフルエンザ予防について簡単に記されている。 現在は新型コロナウィルスの感染防止のため、日本以外の各国でもマスクを着用する人が増えたが、日本ではマスク着用の習慣が根付いており、感染防止策として以前から広く知られている。当時の西塩田も現在と変わらず、マスク着用が風邪の防止策になると認識されていることに興味を引かれたので、この記事を選んだ。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1338 『西塩田公報』第102号(1956年3月5日)4頁2020-12-11
98西塩田時報 第113号西塩田時報 第113号私が二番目に面白いと思ったのはこの記事です。 いもち病について書かれていて、内容としてはイネなどがなってしまう病気とのことでした。 お米は貴重な食料資源だったので当時は新聞の一面を飾るほどの出来事だったのではないかと考えます。2020-12-10
99西塩田時報 第107号西塩田時報 第107号私が一番面白いと感じた点は歌のような俳句のようなものが描かれていく事です。秋から冬に移り変わる寒さや機械の力が人間を大きく上回ってしまったことなどその時の感情が手に取るように分かりやすく書かれています。 言い方は違えど現代と思うことはあまり変わらないのだなと感じました。2020-12-10
100部落ニュース(『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)3頁)部落ニュース(『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)3頁)まず目を引いたのは、「部落ニュース」というタイトルである。現代においては差別問題が想起される「部落」という言葉。その言葉が日常の中に生きていた時代の記事ということだ。 タイトルは現代人からすると少し驚くようなものであるが、その中身は今もよく見る、ご近所ニュースといったところである。「○○で工事が行われた」「池に飛び込み人命救助をしたものが表彰された」という内容が続く。 我々を取り巻く社会が変わり、時代が移ろうとも、その中に生きる人々は今も昔も変わらないのだということが感じられた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #585 『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)3頁2020-12-09
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