塩田平の日本遺産や歴史資料を見て、かつての文化や歴史について考察し、感じたことをまとめる。日本遺産について調べる学習を通して、塩田平の文化や歴史に興味を持ち、このテーマを探究することにした。
★クリップ 平安時代初期に編纂された「延喜式」に載る古社で、「大地」を御神体とする生島大神と足島大神を祭っている。太陽が夏至には東鳥居の真ん中から上がり、冬至には西鳥居の真ん中に沈む。このことから「太陽」と「大地」を結ぶ神社だと言われている。境内には樹齢推定800年を超える「夫婦欅」があり、良縁子宝が祈願される。
私は、生島足島神社が武田信玄や真田昌幸から崇敬されたという点に興味を持ち、訪問することにした。訪問した際に、七五三のお祝いが行われていて、地域に根ざした神社だと感じた。神社へ参拝する人は年配者が多いが、行事での利用が増えれば若者も訪れやすいと思う。
長福寺は平安時代の965年創建で、創基は祐存上人と伝えられている。境内にある八角円堂は、法隆寺の夢殿を模して2分の1の縮尺で建てられた美しい御堂で、「信州夢殿」と呼ばれている。その中には、国の重要文化財である「長福寺銅造菩薩立像」が本尊として安置されている。像は高さ36.7㎝の小金銅仏で、白鳳時代の作品だと考えられる。
長福寺は生島足島神社の隣にあるが、生島足島神社と比べて訪問する人がとても少ないと感じた。観光客が少ない理由として、年に数回の特別公開でしか長福寺銅造菩薩立像を見られないことが考えられる。公開する頻度を増やし、それをアピールすれば、訪問する人が増えると思う。
泥宮の祭神は建御名方富命で、諏訪大社と同じである。「大地(泥)」を御神体とし、生島足島神社が創建された時に、遺霊をここに残したと伝えられている。「泥宮」という呼称は1790年以降とされ、それまでは「諏訪大明神」であった。生島足島神社の西鳥居と泥宮の鳥居は向き合っており、2つの神社に深い関係があることを示している。
泥宮は塩田平のレイラインをつなぐ聖地の1つだが、他の聖地と比べて規模が小さく、入り組んだ場所にあるという印象を受けた。建物とその周囲がきれいな状態だったことから、地域の人々に大切にされていると感じた。
武屋御殿は、廃業した温泉旅館「たけや」を改装し、大河ドラマ『真田丸』の放送に合わせて、2015年に無料の歴史展示館として開館した。真田昌幸・幸村をモデルにした甲冑、陣羽織、真田十勇士の人形、つるし飾り、紙芝居などが展示されている。
展示館はあまり広くないが、様々な民芸作品が展示されており、とても満足感があった。陣羽織を羽織って記念撮影ができるため、武将気分が味わえると思う。つるし飾りは、細部まで丁寧に作られていてきれいだった。
別所温泉センターは、別所村役場跡にある3階建ての建物で、1階に温泉歴史資料展示室がある。展示室は入場無料で、1986年に開館した。別所温泉の歴史年表、塩田平の縄文・弥生時代の石器、塩田周辺の寺院の仏像塔、歌人俳人の石碑拓本などが展示されている。
実際に歴史資料を見て、縄文・弥生時代の遺跡が残っていることに驚いた。別所温泉に伝わる雨乞いの祭り「岳の幟」も展示されており、塩田平の歴史を知ることができた。展示室の存在をもっと広め、訪問する人が増えてほしいと思った。