長野に関連する歌人の探求を行うことで地元に存在する芸術を知る。
★クリップ島木赤彦
歌人。
上諏訪町(現諏訪市)生まれ。
本名久保田俊彦。
長野師範卒業後、明治42年に広丘尋常高等小学校長として赴任。在職中に広丘歌会(広丘アララギ短歌会)を開き、中原静子らを育成する。
早くから伊藤左千夫に傾倒し、「馬酔木」(あしび)に参加し、左千夫の死後上京して「アララギ」の編集を担当し、斎藤茂吉・中村憲吉らと写実主義「アララギ」を歌壇の中核に高めた。
歌集に「馬鈴薯(ばれいしょ)の花」等があり、寂寥感(せきりょうかん)の漂う写実的な作風。下諏訪町に赤彦記念館がある。
引用:長野県塩尻市公式ホームページ(https://www.city.shiojiri.lg.jp/soshiki/64/3836.html)
太田水穂
歌人。
広丘村(現塩尻市広丘原新田)生まれ。
本名貞一。
長野師範に進学、島崎藤村に傾倒する。島木赤彦(久保田俊彦)とは同級生であった。
卒業後、革新和歌団体「この花会」を和田の地に結成し、松本平を支配する保守的桂園歌人に対抗して信州文壇に大きな刺激を投じた。この時、窪田空穂と親交をもつ。
明治41年上京、大正四年歌誌「潮音(ちょうおん)」を創刊し、歌人、研究者の道を歩む。象徴的観想の作風。「短歌のふるさと塩尻」の中心人物の一人。
引用:長野県塩尻市公式ホームページ(https://www.city.shiojiri.lg.jp/soshiki/64/3840.html)