4.蚕糸業が衰退している原因
江戸時代から明治時代まで信州上田を支えてきた蚕糸業はなぜここまで衰退してしまったのでしょうか。
衰退した原因は幾つもあるので紹介していきます
原因①和装の需要が低下
日本は古くから和装が常識でした。特に江戸時代から明治時代は和装の市場も大きく、それに伴って原料である生糸はとても需要がありました。
しかし、明治時代を越えると次第に洋服の需要が増えていき、和服の需要は一気に低下しました。和服の低下と共に蚕糸業も衰退していきました。
原因②海外の生糸を輸入※絹糸・・生糸を加工した糸
日本が近代化していくにつれ、海外、特に東南アジアで大量生産された安い生糸を加工し、絹糸にする方が国内の蚕糸を使うよりも安く大量に仕入れられるため、海外の生糸の方が需要が高くなってしまいました。
その結果、日本の絹糸が以前よりも売れなくなってしまったのです。
輸入当初は東南アジア生産の絹糸よりも日本の絹糸の方が質が良いことから日本の絹糸も親しまれていました。
しかし、近年では技術が進み、東南アジアの方でも大量生産でき、日本産にも引けを取らない質の絹糸が生み出され、さらに日本の絹糸の需要は減り、蚕糸業に大打撃を与えました。
原因③生産者の高齢化
蚕糸業は生産がとても難しい上に利益率が低い産業です。
また、3の記事で書いたように蚕という虫は人間の管理がないと生きていけません。卵の段階では冷蔵室で温度管理を行い、幼虫~成虫まで人間が一つ一つの工程を管理しないといけないのです。
近年の若者は特に虫と接点がなく、上記で書いた蚕を育てる難しさもあり、蚕糸業を継ぐ後継者があまりいないことが原因の一つです。
このまま原因を放置し、策を講じないと自然と蚕糸業は消滅していきます。
若者に蚕糸業を知ってもらうことが蚕糸業を後世へ残していく鍵ではないかと考察しました。
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投稿者 | じゅ |
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