自力で、ファミリーヒストリー
人物伝に、曾祖父志津衛は、上田の士族、鈴木幸蔵の次男とあります。兄は平吉さん。こちらが本家筋になります。外地で殉職して、引き揚げてきたため、志津衛の墓石は、本家の隣に置かせていただいています。そこには古いご先祖様方の墓石があり、三太夫重明、彦三郎重義、重直、六郎衛門頼母などの名前が読み取れます。これら検索して行くと、静岡あたりにつながるようなのですが、どうなのでしょう?上田にはたくさん古地図が残っていてアーカイブ化されていますね。街中にも掲示されているものがあります。どれどれと探していると、鈴木姓がいくつか見つかりました。助之進という方は娘が殿様に嫁入りされたような・・・
昨日、上田にお邪魔した際に、再度その地図を確認したところ市役所に隣接している場所に、鈴木平太左衛門という名前がありました。行ってみると、新築工事中の市役所の半場になっていました。いつの時代の地図か確認でいきていませんが、同じ区画でお隣の3倍ほど大きい邸宅に岡部志津馬という名前が見えます。もしかしたら、幸蔵さんのお父さんが平太左衛門さんで、長男には平をとって平吉、次男には志津馬さんと組み合わせて志津衛と名付けたのでは?と推理してみました。
岡部志津馬氏は、江戸詰めの(茅町に上田藩邸があったようです。)ご家老職のようで、1859年頃上田の生糸交易に関わったという記述があります。
天保10年(1839年)の上田藩士分限表によると
岡部九郎兵衛(41歳)は、家老職のようで、平太左衛門(64歳)は御物頭という位で150石とあります。
お寺は願行寺とあり、同じ浄土宗ですが呈蓮寺さんと違うのが、気になります。何かの理由があってお寺を移動したのかもしれません。
先代の志津馬氏が同じ年ぐらいだったのでしょうか?
本籍地もこのあたりなのと、志津衛って、ちょっと珍しい命名が謎だったのですが、これだと納得でき、確信できるように思います。歴史がある街で、資料等も残っているので、アーカイブ化されることで、さらにいろんな情報が集まってきます。それを曾祖父の調査で実感しています。
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投稿者 | スピカ85 |
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