1951年に運輸省告示第二百四十八号にて告示されたものである。
国立国会図書館デジタルコレクションのURLを以下に張り付けておく。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2963979/4
この計画は「上田松本電鉄」という会社のもので、一説によるとかなり本格的なものであったとされる。
以下、内容を要約する。
申請の理由
・もともと国鉄信越本線、篠ノ井線が開通するまでは松本~東京間の街道筋に当たっていた
・現在は急峻な峠を越えて往復する1日4回のバスがあるだけである
・上田~松本間が3時間以上かかる
・冬季は降雪に阻まれて運行不能となる不便さがある
・輸送力が少ない
・沿線の産業、文化、観光資源の開発などに、非常な障害となっている
開通のメリット
・上田~松本間がわずか1時間半で到達される
・沿線住民が多大な利便を被る
・国鉄大糸線の全通との相乗効果で関東と北陸を結ぶ最短路線としての重要な意義を有する
また、
距離や建設費用が民間資本のみでは前途に非常な困難が予想され、県当局から資材や資金などのあらゆる面において強力な援助を受けなければならない
公聴会の結果長野県が総合開発計画の一環としてこの路線の建設に非常に力を入れており、
沿線市町村が用地や資金、労力などのあらゆる面で協力を惜しまない熱意を有することが判明したため、免許するのが適当である
とも述べられている。
県や沿線自治体がこの計画に乗り気であったことに驚く一方で、ではなぜこの計画が成されなかったのかが気になった。
地区コード | 上田市 |
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管理番号 | 2497 |
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カテゴリ名 | 公文書利用地域学講座 |
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