手洗池(てあらいけ)
手洗池には二つの名前の由来がある。こららを紹介したいと思う。
昔、柳沢村(現上田市古安曽)に幹が6メートルもある大きなけやきの木がありました。ある秋、このけやきの木の枝が折れてしまい、村人は何か変わったことが起きるのではないかと心配していました。すると翌年の夏、すさまじい嵐が起こりました。このため山のほとんどの木が風や落雷のために倒れてしまい、村人は途方に暮れました。さらにこの年も大きなけやきの木の枝が折れてしまい、その翌年もまた大荒れに見舞われました。村人たちは、大きなけやきのせいではないかと考えるようになり、どのようにしたらよいか考えていました。
ちょうどその時、木曽義仲に仕えていた手塚太郎金刺光盛という人が、丸子のお城から手塚へ帰る途中、柳沢を通られましたので、相談したところ「けやきを切り倒して御神木にしなさい。」と言われ、近くの池で手を清め、けやきを倒して、御神木としました。
こうしてこの池は「手洗池」と名付けられた。
また、もう一説は、弘法大師が、讃岐(今の香川県)の善通寺より前山寺にみえたとき、小さな水溜まりを見て、「これはきれいな水だ」と言われ手を洗い、この場所にその後ため池を築造したため、「手洗池」と命名されたとも言われている。
手洗池ができた歴史としては、上田城主に仙石忠政氏が就いた頃、藩の財政再建の策として水田の開発に力を注ぎ、その頃に築造されたと言われている。
人足という仕事は上田藩全域に割り当て、毎日数百人もの人が集められ、冬期間の突貫工事で行い、1年ないし2年で完成させたと言われている。
〈参考文献〉
水辺遍路
https://bunbun.hatenablog.com/entry/2014/10/25/132811
信州上田 塩田の里
http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php
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投稿者 | nika |
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