今回の「常盤町の歴史」では、常盤町創立(昭和35年)から平成3年(「常盤町30年のあゆみ」に記載されている範囲)の範囲内を可能な限り記す。内容に関しては私個人が重要な事を抜き出し及び文章を変更して記載すると事実と異なる内容となる危険性があるため、記されている内容をそのまま記載する。尚、該当ページは第3章常盤町30年のあゆみ、第1節常盤町30年の沿革表が記されている77頁~100頁である。文量が多いため、5年毎複数のページに分けて記載する。
昭和35年
12 県企業局より住宅団地造成計画のあることが地元(生塚区)に示される。
昭和36年
2 このころから生塚区及び関係地主の対応が具体化し始め、団地造成委員会を設けたり関係地主大会も開かれ、県や市との交渉・話し合いが頻繁にもたれる。
7 県・市が造成予定地全阿智の測量を4日間にわたって行う。
9 国道18号線から団地につながる取り付け道路の当初計画変更に伴い、新道路関係の地主会が開かれる。
9 団地情勢の地鎮祭を行う。
10 分譲住宅40戸の建設始まる。
昭和37年
5 40戸分が分譲され入居第1号は西沢芳治さん。
10 自治会結成準備会秋和鉱泉で開かれ班編制と班長選出をする。準備会には入居していた全37戸からの出席があった。
10 自治会長を選出し町名を「常盤町」と決定する。
12 街灯工事が始まり初の5灯が点灯する。
昭和38年
2 西小及び三中PTA支部を結成する。
3 西団地の分譲住宅建設が始まる。
4 市の西部地区一帯に風速25~30mの烈風があり町内の屋根がわらが破損14戸97枚、タキロン屋根破壊悲惨2戸、北信セメント企業組合が即刻屋根がわらを修理する。
4 県企業局へ団地内道路及び排水路の整備促進について町代表4人が陳情に行く。
7 納税組合を結成し、税金を一括納入することにする。
8 西団地の36戸がしゅん工し、入居が始まる、
10 第1回敬老会を開く。
該当のお年寄り2人
11 増築の街灯が全部点灯し、町内が明るくなる。
12 千曲・川中島の両バス会社へ急行バスの生塚停車実現の要望陳情書を提出する。
12 常盤町自治会館がしゅん工し、県企業局より引き渡しを受ける(公費206万円、宮原土建施工)
昭和39年
2 公衆電話ボックスが開館の西側空き地に設置される。
4 自治会館しゅん工祝賀会を挙行する。
5 会館前庭に多行松を植樹する。
6 川中島バス会社へ急行バスの生塚停車実現について陳情する。
7 「分譲によらない建設住宅の取扱いについて」の申し合わせを定める。
8 会館庭の遊園地にブランコ・スベリ台等の固定遊具を設置する。
8 常盤町と緑が丘西区との境界線を決定する。
(須波三穂神社を目標とする小水路を境界とする=平成4年現在の上田警察署前通り水路にあたる)
8 記録的な集中豪雨(2時間ばかりの間に合計5.4mmの降水量)があり、町内一帯に床下浸水などの被害が出る。
9 自治会組織に新たに社会部を設ける。
11 今まで10月切り替えであった自治会事業年度を、12月切り替えに改める。
「常盤町自治会婦人規定」ができる。
地区コード | 上田地域(上田市) |
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管理番号 | 7 |
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カテゴリ名 | 地域の記録 |
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