手塚(てづか)は上田市の西塩田に位置する地区である。付近には独鈷山があり、ため池も多く、別所温泉も近い。
手塚の地名の由来は、伝承によると、奈良時代に塩焼王が反乱を起こして当地に流罪となったが、再び勢力を挙げて反乱を企てたため、最終的に坂上田村麻呂によって討伐され、その塩焼王の怨霊を恐れた当地の人々によって両手を埋葬された事に由来するとされる。なお、この塩焼王の両手を埋葬した場所が、現在も「王子塚古墳」として残っている。
平安時代にはこの地より手塚氏が出て、手塚光盛が源義仲の家臣として活躍した。後に、この手塚氏からは江戸時代に水戸藩に仕えた手塚良仙光照という蘭方医
がおり、さらに、日本漫画界の巨匠である手塚治虫もこの手塚氏の系統だとされる。
手塚の地名の由来にこれほど偉大な歴史的背景が隠されているとはとても驚愕の事実である。
地名は単なる名前ではなく、それぞれにこうした偉大な歴史の面影があり、その集大成としてのシンボルであるといえる。
時間があれば、他の地域についても調査したい。
地区コード | 上田地域(上田市) |
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管理番号 | 2517 |
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カテゴリ名 | 公文書利用地域学講座 |
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