| 写真 | タイトル | 説明 | 登録日 |
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1 | | 安楽寺八角三重塔 | 中国から伝わった「禅宗様」で造られた、信州で初めて建てられた禅寺であり、長野県の「国宝第一号」である。一見、四重塔に見えるが一番下の屋根は裳階と解釈されている。塔の形が八角形と、特徴的である。八角形の塔は全国にこの塔一つしかない。頂上には相輪が晴天高くそびえたっている。
私は、「全国で一つ」や「県内国宝第一号」など観光客にとって魅力的な肩書が多いと感じた。凝った建築と森林の中の佇まいによりその肩書に負けない壮大な雰囲気がある。 | 2024-02-13 |
2 | | 長野大学 | 上田市の公立大学。2023年3月から奥田大賀が在籍。 | 2024-02-09 |
3 | | 2024年1月31日長野大学企業情報学部卒業論文発表会 | 2024年1月31日に行われた長野大学企業情報学部卒業論文発表会を視聴しました。様々な分野の発表を聞き、私自身の卒業論文の参考にしたいと思いました。画像は発表時のモノです。 | 2024-01-30 |
4 | | 安楽寺 | 安楽寺は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院。山号を崇福山と称し、院号は護国院。開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)。本尊は釈迦如来。国宝の八角三重塔があり、長野県で最古の禅寺であることで知られている。
安楽寺の八角三重塔は国宝に指定されているだけあって、迫力があった。八角三重塔にむかうまでに急な階段を上らなければいけないのだが、高齢者の方や、足に障害を持っている方には厳しいと思った。 | 2024-01-26 |
5 | | 宮原上池 | 長野大学の近くにあるため池。規模は小さいが、水量は充実しているように見える。
近くにある迎原上池、迎原下池と比べれば状態が良いようだ。 | 2023-11-14 |
6 | | 迎原上池の看板 | 長野大学の近くにあるため池の看板。看板が茂みに覆われて見えない。ため池自体も発見できなかった。
適切に管理保全されないと、ため池は埋もれて存在を忘れられてしまう、ということを教えてくれるかのようだ。 | 2023-11-14 |
7 | | 迎原下池 | 長野大学の近くにあるため池。看板が木に隠れて読めないが、わずかに見える文字や位置から迎原下池と推定される。
草むらができていたり、周囲が荒地だったりして、現役で使われているため池かどうか疑問である。 | 2023-11-14 |
8 | | 瓢箪池(塩田運動公園) | 長野大学の隣の、塩田運動公園(上田自然運動公園)内にある。公園として整備されているため、田に囲まれたものと比べて行きやすい。
用水路はつながっているようだが、ため池として現役で使用されているかは不明。 | 2023-11-07 |
9 | | 長野大学付近のため池(夫婦池) | 長野大学の近くにある、その付近では比較的大型のため池。降水量の少ない塩田平では、このようなため池が多く存在する。
あふれないようにするためか、高い土手で囲まれている。土手の下からは用水路が出ている。ここから田へ取水するのだろう。
撮影日の数週間前から雨が降っていなかったが、水量は多いように見えた。撮影時点ではすでに稲刈りが終えられていたため、水の消費量が少ない時期と考えられる。 | 2023-11-07 |
10 | | 長野県内でのオープン データの活用方法を探る | 私は地域情報メディア論の最終課題として長野県内でオープンデータの活用方法を探ることを課題にし、自分なりの解決をパワーポイントにまとめPDFファイルに変換し後悔しました。 | 2023-07-27 |
11 | | 上田MATCHIフェス | 先日長野大学生主催のMATCHIフェスに行ってきました。同じ大学の学生が主体で開催するということで、興味本位で行ってきました。会場には多種多様の飲食店やグッズの出店が並びお祭り気分を味わえました。演劇のステージもあり、市の曲芸団や長大のサークルが発表を行いパフォーマーとして楽しませる姿を見て感銘を受けました。イベントの最後には風船ランタンを打ち上げ、映える風景と共に締めくくりました。 | 2023-05-10 |
12 | | 雲の切れ間の青空と上田市の車社会を物語る一枚 | まだらな白い雲の切れ間に見える青い空がきれいです。上田市に住むうえでは車はほぼ必須。駐車場がびっしりと埋まっています。
長野大学の近くで撮影しました。都会や街中にキャンパスを構える大学と比べると長野大学へ車で通学する人が多いですよね。 | 2023-05-09 |
13 | | 臼井峠より浅間を見る図〔信州の浮世絵〕 | 江戸後期の浮世絵師、歌川国芳による風景画。「一勇斎国芳画」とある。
国芳は葛飾北斎、歌川広重らと同時代を生き、豪快な武者絵などで人気を博した。西洋の遠近法や陰影法を取り入れた風景画を描いており、この絵でもそれら技法を駆使して信濃国と上野国の境に位置する臼井峠(碓氷峠)から、浅間山を遠望する雄大な景色を描いている。峠には旅姿の人々や、背に荷を積んだ馬が引かれているのが見える。碓氷峠は当時、中山道においても関東と信濃国や北陸とを結ぶ要所であり、峠の江戸側には関所が置かれて厳しく取り締まられた。また古くから難所として知られ、皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐために中山道を通ることが決まると、一部大工事が行われて「和宮道」と呼ばれる多少平易なルートが開拓された。
URL:https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommo | 2023-02-01 |
14 | | 桔梗ヶ原〔信州の浮世絵〕 | 江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。
初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。「桔梗の原」は天文年間(1532~55)に武田信玄と小笠原長時が相対した合戦場で、左にある「勘助子そだての松」は、合戦の最中に山本勘助が乳児を救い、その根元に置いて戦の後に戻ったところ、松の葉から落ちる雫を母親の乳房から出る乳のように口に含んでいたという伝説がある。その後、中山道の一里塚が築かれた。江戸日本橋の基点から59番目、江戸へ55里、京へ85里の道標で、塩尻市宗賀平出には、道を挟んだもう一方の塚が松の木とともに残されており、現存する数少ない一対 | 2023-02-01 |
15 | | 木曽の雪〔信州の浮世絵〕 | 江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。
初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。
図は、雪に覆われた木曽谷を描いたもの。切り立った斜面の細道を、蓑笠を着け荷を掲げて行く姿がある。当時の木曽路は、中山道の中でも峠道が多く、難所続きだった。川沿いの切り立った断崖に、棚のように張り出して造った道「木曽の桟(かけはし)」も難所の一つとして知られた。丸木の柱に、横に板を並べた簡易な造りだったが正保4年(1647)に通行人の松明の火が落ちて焼失。後に石垣を築いて再建され、現在は国道の下に石垣の一部が保存されている。松尾芭蕉が「更級紀 | 2023-02-01 |
16 | | 戸隠山九頭龍大権現〔信州の浮世絵〕 | 江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。
初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。徳川家の手厚い保護を受け、戸隠山顕光寺として信仰を集めた神仏混合の時代を描く。九頭龍大権現(現在の九頭龍社)の右に奥院(奥社)、江戸末期の狩野派絵師河鍋暁斎作の「龍の天井絵」がある中院(中社)、右下の石階段の先が宝光院(宝光社)とみられる。参道には杉木立の合間に院坊が立ち並び、参拝者や商人らが行き交う門前町として栄えた当時の様子を描いている。九頭龍社は古くから地主神として祀られてきた。
水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神として信仰を | 2023-02-01 |
17 | | 善光寺道久須里山〔信州の浮世絵〕 | 江戸時代の浮世絵師、二代歌川広重による錦絵の揃物「諸国名所百景」の一つ。
初代広重の門人で、師の亡き後その画風を継承した二代広重が、安政6年(1859)から文久元年(1861)にかけて制作した。版元は、初代広重晩年の作「名所江戸百景」を出版した魚屋栄吉。「久須里山」は善光寺の北、長野市浅川にある薬山。この中腹の断崖絶壁に大同2年(807)に懸崖造りの薬師堂が創建された。絶壁から迫り出した部分は支える柱もなく、ぶらぶらと揺れることから「ぶらん堂」と呼ばれ、現在の呼称「ブランド薬師」となったとされる。弘化4年(1847)の善光寺地震で崩落したが、文久元年(1861)に再建された。
URL:https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03CP1443040000
施設名:長野県立歴史館
参考資料先:信州デジタルコモンズ | 2023-02-01 |
18 | | 恩田緑蔭(おくだりょくいん) | 文政2年松代生まれ。本名はゆり。桜雲亭緑蔭、桂月由里などとも称した。松代藩絵師の山田島寅や青木雪卿に師事、葛飾北斎や与謝蕪村にも私淑して作品を模写している。花鳥図や松代の風景、藩にゆかりのある人々の肖像を描いた。平成17年、長野市の水野美術館で「恩田緑蔭展~知られざる信州の元祖女流画家~」が開催された。明治7年、55歳で死去した。
※図は「写生集壱」
https://yuagariart.com/uag/nagano09/ | 2023-02-01 |
19 | | 青木雪卿(あおきせっけい) | 現在の長野市松代町岩野に生まれる。通称八重八、号を雪卿とした。川中島の更級雄斎 に絵を学んだとされる。松代城の障壁画を描き、多くの肖像画を描いたと伝えられる。 弘化 4 年(1847)に起こった善光寺地震後の被災地を、8代藩主真田幸貫の巡行どお りに描いた『感応公丁未震災後封内巡視図』は、被災地を写実的に描いた彼の代表作であり、災害史の重要な記録である。パノラマ写真のような眺望図や、実景を尊重する極めて 写実的な表現は、写真の影響を想像させるような、新しい表現が見られる。
https://nagano-citypromotion.com/learning/person.html
https://www.sonpo.or.jp/report/publish/bousai/yobou_jihou/pdf/ybja_ez/ybja-ez-174.pdf
※図は『感応公丁未震災後封内巡視図』の一部である。 | 2023-02-01 |
20 | | 西川小扇八 (にしかわこせんぱち) | 上田地方だけでなく、広く東信地方から県内にかけて日本舞踊の普及に尽力した小扇八は、明治38年東京浅草瓦かわら町に生まれました。小扇八(本名金子光みつ)の育った浅草界隈は、古くから歌舞音曲かぶおんぎょくの盛んな土地柄でした。生まれつき体の弱かった光を心配した両親は、健康のために芸事を身につけさようと、長唄や日本舞踊、華道、茶道など日本古来の伝統芸能を一通り習得させました。
とりわけ光は日本舞踊に強く興味を示し、自ら進んで西川流に入門し、稽古に励みました。縁あって18歳で結婚しますが、婚家になじまず実家に戻ります。浅草に戻った光は生涯進むべき道を日本舞踊と決め、西川扇五郎に師事します。再び踊りの世界に没頭し、厳しい稽古に耐え、艱難かんなんを克服して次第に頭角とうかくを現あらわ | 2023-02-01 |
21 | | 戦前長野の農業形態⑥ | 当時に比べると長野でのイチゴは果物の中だとあまりメジャーではないように思われるが、輸送手段や保存方法が当時に比べると発達したため、他地域での生産もさかんになったからではないかと考える。
戦前の長野での農業について共通点も多く見られたが、現在と違う点も多くとても興味深いと感じた。農業に関して調べるうちにジャムのルーツにも触れることができ有意義な学習であった。 | 2023-01-28 |
22 | | 戦前長野の農業形態⑤ | 栽培されたイチゴは鮮度の問題から近郊には青果として、遠方には貯蔵できる形としてジャムにすることで販売していたようである。
この資料に加え、長野のジャムに関して調べてみたとこ
ろ、明治10年新宿で初めて日本でジャムが作られ、その四年後に企業として初めてジャムが作られた地が長野であり、長野は日本のジャム生産の先駆的な地のようだ。
信濃産業誌 完」
https://api.ro-da.jp/v1/shinshu-dcommons/library/02BK0102152899/images/629fa7724c1f448586380935d789259b.jp2/651,655,2070,3016/333,485/0/default.jpg
「日本におけるジャムの歴史」
http://www.sudo-jam.co.jp/tokusyu/20140210 | 2023-01-28 |
23 | | 戦前長野の農業形態④ | 次に紹介したいのは私がこの資料を閲覧していて一番興味を引かれたイチゴについてである。現在の長野ではあまりメジャーな果物ではないように思われるが、資料にあるように当時、長野で栽培されたイチゴはイチゴジャムとして使われていたようである。 | 2023-01-28 |
24 | | 戦前長野の農業形態③ | こちらは大麻に関する記載である。大麻といっても工芸作物の麻のことであり、麻袋や畳に使うようである。栽培方法や適する条件等も記載されている。栽培に関する条件は比較的緩いようだ。
「信濃産業誌 完」
https://api.ro-da.jp/v1/shinshu-dcommons/library/02BK0102152899/images/f65cc121f9b64b6cbf76b0a27d25cebd.jp2/493,541,4771,3136/852,560/0/default.jpg | 2023-01-28 |
25 | | 戦前長野の農業形態② | まず始めに触れたいのが稲作である。資料に記載されているように川による豊富な水源、肥沃な土、夏期に暖かく、基本的に冷涼な気候であることから稲作が行われていたことがわかる。稲作に適する条件が現代と同じであり、当時から盛んに行われていたことがわかる。左のデータには作付量、反別、収穫高などが記載されている。
「信濃産業誌 完」
https://api.ro-da.jp/v1/shinshu-dcommons/library/02BK0102152899/images/75b5398006c44bf0b725eedac59bc2f7.jp2/620,642,1725,3035/308,542/0/default.jpg | 2023-01-28 |
26 | | くるみ生産量一位の長野が作る信州の銘菓 くるみのハーモニー | 引用元:https://www.usagiya-ueda.com/blog
香ばしいビスケットの中に、ミルクキャラメルを絡めたくるみがたっぷりと詰められた人気のお菓子「くるみのハーモニー」。くるみの生産量全国一位の長野県が生んだこのお菓子は、おいしさが人気の理由なのはもちろんのこと、焼き色よく、サイズ感もかわいらしく、見た目も愛されるひとつの理由になっています。
そのパッケージデザインはいたってシンプルに仕上げられています。
お菓子の第一の特徴であるくるみのイラストが表面に印刷されており、あとは商品名が記載されているのみ。
歴史にゆかりある上田の地らしさがにじみ出たデザインだと感じました。商品の包みが和紙のような質感になっていることもこれを助長しているように見えます。 | 2023-01-27 |
27 | | 長野伝統のお菓子 みすゞ飴 | 引用元:https://misuzuame.com/sp/ame/
みすゞ飴は、国産果実を寒天・グラニュー糖・水飴で固めた、長野県の伝統的な乾燥ゼリー菓子です。
その歴史は長く、100年も前から信州上田のちでも愛され続けています。
上田土産の代表格のような存在であるこの製品のデザインは、製品同様オレンジを基調とした色彩豊かなデザインで、また習字調のような少々独特な字体で印刷された商品名は、伝統を重んじ、歴史ある信州地域の名産らしさをある意味表しているようでなんともしっくりくるように感じます。パッケージデザインには製品に使用されている果実も印刷されており、一目見て商品の要素が伝わることも良さの一つでしょう。 | 2023-01-27 |
28 | | 戦前長野の農業形態① | 信州デジタルコモンズにて見つけた「信農産業誌 完」には戦前、およそ明治20年~40年辺りの長野の農業に関しての特徴や収穫高のようなデータが記載されている。現在の農業形態と比べると違った面が見られる。興味深いものがいくつかあったのでピックアップしていきたい。 | 2023-01-26 |
29 | | 安楽寺八角三重塔 | 日本で最も古い臨済禅宗寺院の一つである安楽寺。そこにある木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く「国宝」に指定された。
https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot1.html | 2023-01-25 |
30 | | 交通機関を使って上田観光を! | 上田市での交通手段は主に車、電車やバスなどの交通機関、タクシーなどがあります。その中でも特に、電車やバスといった交通機関は、たくさんの人々が利用し、日常生活に必要不可欠となっています。
上田市の主な電車には、しなの鉄道と上田電鉄別所線があり、上田電鉄別所線は大学前にも通っているため、長野大学の皆さんも普段から利用しているのではないかと思います。上田電鉄別所線は上田駅から別所温泉駅まで続いており、上田市屈指の観光地である別所温泉に気軽に行くことができます。上田電鉄別所線の車両には、1月1日~30日限定の車両「謹賀新年 HM」、「れいんどりーむ号 HM」、「真田傍陽線開業95周年 HM」「真田傍陽線廃止50周年 HM」、「さなだどりーむ号 HM」などのラッピングが施された特殊車両があり、外見でも楽しむ | 2023-01-19 |
31 | | 長野県の蚕の歴史 | 今回、私は、上田市と岡谷市の養蚕と製糸産業の歴史について調査をした。このテーマにしようと考えた理由は、上田市と岡谷市で蚕にまつわる歴史があったからだ。私の地元の岡谷市は、かつて製糸産業が盛んだった。そして、上田市は、「蚕都」と呼ばれるように、養蚕の地であった背景がある。養蚕と製糸という、蚕によって結びつけられたテーマを元に、今回は、調査結果を述べていく。
はじめに、上田市の養蚕についてだ。蚕種製造・養蚕は、寛文の時代 (1661~1673) に始まった。蚕の飼育をする上で、気候が適していたため、春に育成していたようだ。一方、岡谷市の製糸は、幕末から明治にかけて盛んになっていった。「近代国家」への転換のための、外貨の獲得に、岡谷市の製糸産業は大きな貢献をしたようだ。
上田市で、養蚕が盛んになっ | 2022-08-05 |
32 | | 太陽光パネル設置率 | 予てから思っていたが、地元の静岡より太陽光パネルを多く見る気がしてならなかった。
いざ家の屋根などに目を向けてみると、改めて見ても確かに多い。気になって「太陽光発電 普及率 都道府県別」で検索してみたところ、長野県は山梨県に次いで2位とわかった(但しデータは2014年とちょっと古いもの)。
しかしながら地元の静岡県も第4位に食い込んでおり、意外だった。
帰ったらもっとよく観察してみよう。 | 2022-05-17 |
33 | | 広い道、国道77号線 | 長野上田線とも記されているこの道は、車道も歩道も広く取られていて、自転車でも走りやすい道である。
ただ、この写真の先ではこの記事を投稿時点で工事が行われているので、走行には気をつけたい。 | 2022-05-08 |
34 | | 布引観音 布引山釈尊寺 | 長野県小諸市布引山にある、「牛に引かれて善光寺参り」伝説で有名な寺。行基が開いたと伝わる歴史がある。善光寺に繋がるとされる善光寺穴など、参道には様々な言い伝えが残る洞穴や岩が多く存在しており、案内看板を読みながら登る楽しさもある。
観音堂は崖に張り付くような形の懸崖造りで作られており、見応えがある。自然に囲まれていたり、山の上の高い部分に作られていたりすることから、眺望もいい場所である。
参道は軽い山道のようになっており、軽い運動に適している。
牛に引かれて善光寺参りとは、布引山釈尊寺と善光寺に関する伝説。布引山の麓に暮らす不信心な老婆が川で布を洗っていたところ、牛が現れて布を角にひっかけていってしまった。老婆は怒って牛を追いかけ、ついに善光寺まで辿り着いた。そこで牛の涎が | 2022-05-09 |
35 | | コウノトリの復活 | 但馬の空にはコウノトリという鳥が飛んでいます。
コウノトリは絶滅危惧種で、国の特別天然記念物に指定されています。
1971年に絶滅しかけましたが、1989年に人工繁殖に成功し、2005年に野生復帰することができました。
現在では、100羽以上のコウノトリが自由に空を飛んでいます。
田んぼで作業をしていると、コウノトリが様子を見に近くまで飛んできます。
数は増えてきていますが、今でも、コウノトリを見ることができたら、今日は運がいいなと思っています。
いつか長野の地でコウノトリが飛んでいるところを見たいです。 | 2022-05-05 |
36 | | 千曲川と近代文学① | 近代の作家、島崎藤村は「千曲川旅情の歌」という詩を明治38年に発行された「落梅集」で初出している。
明治32年、小諸義塾の教師として信州・小諸に招かれ、小諸で6年間生活し、家庭を持った。
「千曲川旅情の歌」は「小諸なる古城のほとり」から始まる歌であり、長野での生活が藤村の歌に影響を与えていたことが分かった。
『国立国会図書館デジタルコレクション』に、
『落梅集』が収録されている。 | 2022-02-15 |
37 | | 那須与一とは | 那須与一は、『平家物語』や『源平盛衰記』に登場する武将です。与一とは10あまり1、つまり11男を示す通称となっています。その名の通り10人兄がいますが、10人のうち9人が平氏の味方となり、残る1人も罪を得てしまったため、与一が家督を継ぎました。その後与一は彼らに那須各地を分地します。屋島の戦いにて扇の的を射ったことで有名です。
誕生日は不明で、京都伏見にて病死、即成院に埋葬されたと伝えられています。しかしその年月日は史料により異なり、那須系図(那須隆氏蔵)、那須拾遺記によると1189年8月8日、那須系図(続群書類従)によると1190年10月となっています。
那須与一が頼朝より与えられたと伝えられる荘園は以下の五つです。
・丹波国五賀庄(京都府船井郡日吉町)
・信濃国角豆庄(長野県松本市、塩尻市)
・若狭国東宮 | 2022-02-15 |
38 | | まとめ | 初めは単なる好奇心から始めたイナゴ探求であったが、海のない長野県でたんぱく質を得るための古くからの知識であることが分かったり、SDGsや飢餓問題にからめ、これから世界で注目されていくべきスーパーフードであることも知れた。
今回、「イナゴ」というテーマから、上田や長野県の昔からの生活や歴史を知ることができた。
これからも様々な角度からみた長野県を探究していきたい。 | 2022-02-15 |
39 | | イナゴで作る持続可能な食生活 | FAOは、世界の人口は2050年には現在の75億人から90億人まで増加し、世界中で10億の人々が慢性的な飢餓に陥ると指摘。
さらに2030年頃には、タンパク質の需要に対して供給が足りなくなると予測されています。
そんな食糧問題の解決策のひとつとして、昆虫を食用としたり、家畜の飼料にしたりすることを推奨する報告書が公表されました。
海のない長野県で、貴重なタンパク質の供給源として古くから食べられてきた昆虫食、イナゴ。
これからの「次世代のスーパーフード」として世界に見つかれ!!!イナゴ!!!
参考: https://www.inadanikankou.jp/special/page/id=1107 | 2022-02-15 |
40 | | イナゴを食べる | 平成 25 年 12 月に、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。
長野県の伝統的な食文化であるイナゴについてもおいしく食べて楽しく学ぼう!
〈農林水産省も推奨!!イナゴの佃煮の作り方〉
1 いなごは熱湯をかけ、足と羽を取り、よく水洗いし、水切りをする。
2 熱したフライパンにいなごを入れ、弱火で3~5分空煎りする。
3 鍋に砂糖・醤油・酒を入れて煮立て、いなごを入れ、強火で煎り煮する。
4 汁気がなくなる直前に、みりんを入れ照りをだす。
5 汁気がなくなったら火を止めて塩をからめる。(カラっとする)
6 ※いなごの足はすり鉢ですりつぶし味噌、砂糖などお好みの味でいなご味噌を作る。
7 ※いなごの下処理の別法:いなごをとった布袋のまま、熱湯でゆでた後、 | 2022-02-15 |
41 | | じまん焼きの歴史と比較 | 引用 「富士アイス下諏訪店」で自慢焼き・上田店と食べ比べ
https://simple-yuumin.com/wp-content/uploads/2018/04/IMG_3920-2-e1522716309126.jpg
上田のソウルフードの一つであるじまん焼きを作っているのが富士アイスという店だ。富士アイスは上田以外に長野県にいくつかある。岡谷店と下諏訪店だ。富士アイス上田店は昭和10年にオープンに対して岡谷店は昭和48年創業、そして下諏訪店は昭和58年に始まっており、割と最近になってから開業した。下諏訪店はあんこの水分が上田店より少ないなど、店によって皮とあんこの固さに違いがあり、それがまた個性となっている。
参考文献
「富士アイス下諏訪店」で自慢焼き・上田店と食べ比べ
https://simple-yuumin.com/fujiaisu-3044 | 2022-02-14 |
42 | | まとめ | ため池のつくられた歴史や、民話などを調べることで、ため池自体ができた経緯は降水量の関係で同じだったことがわかった。しかし、そのため池一つ一つには違ったエピソードが存在することがわかりおもしろかった。
現実離れした民話が多く残っており、特に、舌喰池に残っている伝説は印象的で、このように残酷な話が残っていることが衝撃だった。
面白い話を知ることができたし、知らなかった歴史を学ぶことはできたが、ネット上では思うように深掘りをして調べことができなかったように感じる。そのため、受け売りとなる二次情報ではなく自ら調べる一次情報の重要さを実感した。
〈参照した資料〉
Googleマップ
信州上田 塩田の里 http://www.shiodanosato.jp/
長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続https://www.geoenv.tsukuba | 2022-02-12 |
43 | | 舌喰池(したくいけ) | 舌喰池は塩田の里交流館(とっこ館)の近くに位置するため池であり、手塚自治会によって管理されている。貯水量は13万㎥もある。
耐震のための改修工事や、田園空間整備事業による水辺景観の整備が行われている。また、百八手という千駄焚きを行って雨乞いをする祭りや、舌喰池付近の芝生でコンサートの開催を行うなど、文化遺産やレクリエーションの取り組みを行っている。
舌喰池には悲しい伝説が伝えられているので紹介したいと思う。
昔この池がつくられた頃、土手から水が漏れて十分に水をためることができなかった。そこで池の改修をするに当たり、土手に「人柱」を入れなければ水がたまらないという話が出回った。悩んだ結果くじ引きで決めることになり、美しい娘が人柱に選ばれた。
娘は日夜悲しみに明け暮れたが、人柱に | 2022-02-09 |
44 | | 様々な活動 | この絵本は杉本志津子差さんが素直な優しいタッチで、描いた丸窓電車と、永遠に続く線路をイメージして描いたモノだ。そして絵本の詩は、1970年代に廃止問題に揺れていたときに、存続を願い、長野大学の学生が歌っていた曲の歌詞です。別所線の駅15駅、すべてが歌詞に登場します。
今も長野大学の学生に愛されている、別所線。当時から愛されていたのが分かる。 | 2022-02-07 |
45 | | 地域人々の支援 | 幾度も存続の危機が持ち上がる中、別所線が何とか持ちこたえてきたのは、コスト削減のほか、増発や長野新幹線(現・北陸新幹線)との接続ダイヤなど、利便性向上への取り組みを重ねてきたことも大きな要因となっている。
そして、最も歴史が古い「別所線電車存続期成同盟会」や、現在、中心となってイベントなどを企画実行してい
る「別所線の将来を考える会」など、相次いで結成された銀民による支援団などの活動を広げていったことが、存続を実現させる力となった。
[参考文献]
https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf
[写真]
https://www.asahi.com/sp/articles/ASP3X72LPP3XUOOB00D.html | 2022-02-06 |
46 | | 1路線だけ生き残った鉄路 | 長野県上田盆地には始め五つの路線が張り巡らされていた。車社会の進展にともない昭和40年代までに次々と廃止となったが、唯一残ったのが別所線であったという。
しかし、昭和48年、輸送人員の減少を理由に上田交通が廃線を表明した時があった。沿線住民による存続運動が起こり、翌49年、国と県による鉄道軌道欠損補助の公的支援とともに、上田市が3年間の補助金を交付することで、別所線存続が決まった。3年後の昭和52年にも、沿線住民により存続運動が行われたが、この時点では上田交通の営業努力で赤字幅が減少していたため、廃線を免れている。
[参考文献]
https://www.mintetsu.or.jp/association/mintetsu/pdf/63_p26_27.pdf
[写真]
https://www.city.ueda.nagano.jp/site/besshosen/5563.html | 2022-02-06 |
47 | | 6.若者に蚕を知ってもらうには | これまで蚕について様々なトピックを紹介してきましたが、蚕糸業の衰退を止めるためには若者の力が必要不可欠です。
若者に蚕を知ってもらうための策を幾つか考えました。
5の記事で紹介した蚕糸を使ったアートを通して蚕を知ってもらう策。
近年、SNSの普及に伴い若者の影響力が絶大的な権限を得ています。日本の世の中の流行は若者のスマホの中から始まっていて、何気ない投稿がその年の流行を決めるとも言われています。
SNSに蚕を使ったアートを載せたり、アリオやサントミューゼなどの大型施設で展示会をするなど人の目に触れさせるようにしなければならないと感じました。
蚕の飼育を流行にする案。
蚕という虫は品種改良されたため、人の管理がないと生きられません。そのデメリットを逆手にとって若い人が蚕を飼育しや | 2022-02-03 |
48 | | 3.蚕(カイコ)という虫について | 今回のテーマである蚕糸産業では蚕という虫が欠かせない存在です。そんな蚕について解説していきます。
長野県民の方なら授業で習う機会もあるらしいのですが、県外出身の私は授業などで習ったことはなく、名前だけしか知りませんでした。
蚕(カイコ)という名前は知ってるけど、どういった虫かはあまり知りませんよね。
カイコは別名カイコガ(学名:Bombyx mori)
チョウ目カイコガ科に属する昆虫です。
蚕は自然界に存在しない虫で、遥か昔に家畜化された虫なので人間が世話をしないと生きていけない虫なのです。
何故、世話をしなければ生きていけないのか
・幼虫の頃は脚が弱く、葉にくっつけないから。
・成虫になり、羽があるのに一切飛べないから。
蚕の起源
5000年前の中国で東アジアに生息するクワコという蛾の一種を糸と | 2022-02-02 |
49 | | ため池の現状と様々な機能 | 長野県のため池の数は全国26位の1892か所であり、全国的にため池は、瀬戸内海式気候の場所に多いことがわかる。この気候区は降水量が少なく比較的晴天率が高いという、上田市と同じような特徴を持っている。
ため池は様々な機能を持っている。
その土地独自の生態系を保ったり、地域の歴史的な文化の保持などが挙げられる。山間部のため池では、洪水調節機能や、土砂流出防止機能なども挙げられる。
また、現在、全国ではため池の様々な利用が進んでいる。福岡県福岡市では、蓮花寺池というため池に、水上太陽光発電を設置し利用を進めており、約400世帯の電気を発電している。
参考・引用
ため池をめぐる状況について|農林水産省農村振興局整備部防災課
| 2022-01-30 |
50 | | 6 松根油の生産について | 画像は「長崎ディープブログ「長崎街道11~松並木と松根油と」」から転載
http://blog.nadeg.jp/?eid=43&imageviewer&image=20171028_726412.jpg
年表・数字からひもといた中で、特に「航空燃料用の松根油」の生産に関して注目したいと感じた。
興味を感じた理由は下記の二つである。
①自分の生まれ育った地域、しかも長野県の山の中で航空機の燃料を作っていたことを全く知らなかった。日本の山奥で航空燃料を生産するに至るまでに、どのような経緯があったのか調べたい。
②のちに記すが、坂井村誌内の記述によると、私の実家の近く、小学校の通学路の橋の袂で生産を行っていたらしい。そのためより身近に感じた。
村誌内の記述
下記は坂井村誌内に記述されている、松根油に関する記述である。
--------------------
松根油
昭和20年に入ると、松根 | 2022-01-29 |
51 | | 8 参考文献等 | ・坂井村誌(坂井村・平成四年三月三十日)
・Wikipedia「坂井村(長野県)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E6%9D%91_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C)
(2022年1月29日最終閲覧)
・パラパラ地図長野県(2005年10月1日)http://mujina.sakura.ne.jp/history/20/index2.html
(2022年1月29日最終閲覧)
・まんが日本昔ばなしデータベース「うばすて山」
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=28
(2022年1月29日最終閲覧)
・コトバンク「国民精神総動員運動」
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%B7%8F%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%81%8B%E5%8B%95-64263
(2022年1月29日最終閲覧)
・e-Stat「国勢調査 / 昭和22年臨時国勢調査 / 全国都道府県郡市区町村別人口(確定数)」
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200521&tstat=000001036870&cycle=0&tclass1=000001037104&stat_infid=0000079145 | 2022-01-29 |
52 | | 3 坂井村とは | 画像は市町村合併前の2005年10月1日時点の坂井村所在置
引用:http://mujina.sakura.ne.jp/history/20/index2.html
(2022年1月29日閲覧)
坂井村は1874年(明治8年)11月12日に筑摩県筑摩郡永井村・安坂村が合併し誕生した。
松本盆地と長野盆地の中間に位置する筑北盆地(麻績盆地)の最東端に位置する。
昔話「うばすて山」が有名で、姨捨伝説がある冠着山(かむりきやま)・別名 姨捨山(おばすてやま)をはじめとした1000m級の山々に囲まれており、村の中心に位置する坂井小学校や村役場周辺は標高640mほどである。
(長野大学の標高はおよそ470m)
2005年10月11日に本城村・坂北村と合併。現在の筑北村が発足し、坂井村は廃止された。
廃止時のデータ
面積:37.41㎢ 総人口1,515人
村の木:ミズナラ | 2022-01-29 |
53 | | 4 年表からひもとく | 坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。
・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。
・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。
⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員 | 2022-01-29 |
54 | | じまんやきの歴史と比較 | 引用 「あんこ」と「カスタードクリーム」どちらがお好き?「じまんやき」の「富士アイス」 ~上田市海野町商店街6~
https://blog.nagano-ken.jp/wp/josho/wp-content/uploads/2015/09/20fuji2.jpg
じまんやきは上田市のソウルフードの1つになっている。
じまんやきは海野町商店街の一角の富士アイスで売られている。じまんやきを作っている富士アイスの本店は山梨県甲府市に本店を置いている。富士アイス上田店は昭和10年に開業し、長野県で一番古参の店になっている。富士アイスは創業当初は富士屋という店名だった。富士アイスの富士は日本一の山を自慢している富士山に由来する。
次にじまんやきについて解説します。じまんやきは「自慢の味。自慢したくなる味。」から由来しています。
じまんやきは1個80円とリーズナブルな価格であり、太鼓上に | 2022-01-27 |
55 | | 長野県とイナゴ | 古くから親しまれてきたイナゴを食べて学ぼう!
・イナゴソフト
諏訪湖観光汽船で販売。イナゴの甘露煮が刺さってます(^_-)-☆
・バッタおやき
バッタは名だけで中身はイナゴ。
・バッタ飴
イナゴの佃煮を埋め込んだ、棒付きべっ甲飴。 | 2022-01-27 |
56 | | イナゴ | 長野県の山間部などで多く食用とされてきたイナゴ。
動物性たんぱくをとるための貴重な栄養補給源だった。
昔に比べいなごの数も減少しており、生活や食文化の変化により各家庭で調理されることは少なくなってきたものの、今もなお伊那谷では昆虫食文化が残っている。 | 2022-01-27 |
57 | | ため池の必要性 | そもそもなぜ塩田平にはため池が必要だったのでしょうか。それは、全国でも有数の寡雨地域であったからです。雨が少なく年間の降水量は890mmであり、稲作をするときに必要と言われる降水量である1000mmを下回ります。そのため、稲作をするためには厳しい土地でした。幸い、土壌は元々塩田平は湖であったことなどから肥沃だったため、水が足りないという課題を灌漑で解決すれば稲作ができました。用水路を使った灌漑などが長野では多いですが、塩田平を流れる川は、どれもたくさんの農地を潤すほどの水量はありませんでした。そこで、塩田平ではため池灌漑という長野県では珍しい灌漑方法がとられています。
参考:ため池のれきし-信州上田|塩田の里|とっこ館
| 2022-01-26 |
58 | | ニコニコ亭 | 長野大学から徒歩約10分の所にあるニコニコ亭。
昔ながらの雰囲気がとてもよく、美味しい洋食レストランです。 | 2022-01-26 |
59 | | ため池の歴史② | ため池は農業用水を確保するためだけに使われていたと思っていたが、歴史を遡るとそれ以外にも利用されてきた歴史があった。
例として挙げられるのは食用鯉の養殖である。塩田地域のため池は水温が高く、養蚕が盛んであったことから、鯉の餌としてたんぱく質の豊富な蚕の蛹が多く採れた。このような地域特徴から鯉の養殖に使われてたが、1980年代末には鯉の養殖は衰退し、今はフナの養殖に非常に少数のため池が使われているだけである。
〈参考文献〉
長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続
https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/43/08.pdf | 2022-01-26 |
60 | | 山本鼎さんとは | まず農民美術とは農民の方々が作物の育たない冬の間に行なう生業として生まれました。提唱したのは山本鼎さん。彼は立ち寄ったロシアでそこの人々が行なっていたものを参考にし帰国後、長野県神川村(現在の上田市)にて第一回農民美術講習会を開きました。彼自身も多彩な芸術家であり、彼が起こした農民美術運動は後の世に大きな影響を与えました。 | 2022-01-24 |
61 | | 上田の蚕種業 | 【上田の養蚕業】
江戸の末期から昭和にかけ、全国一の養蚕地帯でった長野県。特に上田地方は千曲川から広がる桑の栽培に適した地形と降水量の少ない養蚕に適した気候、そして蚕種の改良から日本一の蚕種製造地帯であった。中でも上田盆地は春蚕の生産地であり、松本盆地の夏秋蚕と対比されていた歴史がある。
【上田の蚕種の歴史】
-蚕種の始まり-
長野県では上田地方がいち早く、藤本善右衛門家によって1661年~1673年に蚕種製造がはじめらた。
上田地方の蚕種製造は
①奥州産蚕種を仕入れ販売(仕入種)
②奥州へ出向き蚕種製造(手作種)
③自家製造(地種)
と順を追って成長し全国に販路を広げていく。
-蚕種製造が盛んになった背景-
① 江戸時代、経済が発達による養蚕業や織物業の奨励
② 蚕種・養蚕・製糸の分業化
この | 2021-12-22 |
62 | | イナゴ | 長野県の飲食店やスーパー、お土産屋さんでイナゴの佃煮が売られているのを見る。
他県民にはおそらくあまりなじみがない食べ物だが、長野県でどのように広まり、親しまれてきたのかについて探求したい。
資料:webサイト その他検討中 | 2021-12-21 |
63 | | 上田のため池 | 私たちは上田市塩田のため池について調べようと思う。
このテーマを選んだ理由は、上田に来てため池が地元と比べ多いという印象を抱いたからである。どうしてこんなにため池が多いのか興味を持ったので、塩田の歴史やどんなものがあるのか調べたいと思った。
上田市文書館の資料や長野大学付属図書館、塩田の里交流館などで塩田の歴史とため池の関係をまとめていきたい。 | 2021-12-21 |
64 | | 生島足島神社 | 生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。
御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて建っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。この池を巡らせて神域とされる島をつくる様子は「池心の宮園池(いけこころのみやえんち)」と称され、出雲式園池の面影を残す、日本でも最古の形式の一つとされるものです。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。
また、ドラマや撮影に使われることもあり秋になると周りの山々 | 2021-07-24 |
65 | | 真田井戸 | 上田城にある真田神社の奥に進むとある真田井戸は、抜け穴になっていて、太郎山麓の砦につながっているという伝説があります。 戦いのときに兵糧を運んだり、井戸から城外に出て奇襲をしたなどと言い伝えられている。
昔、実際に見たわけではないがこの場所に行き、このような事が起きたのだなと想像するだけで非常にワクワクするようなスポットである。 | 2021-07-23 |
66 | | 真田神社 | 城門を通るとすぐにある真田神社は、松平氏を祀ってあった松平神社だったが、太平洋戦争後に歴代城主である真田氏と仙石氏も合祀されて上田神社となり、昭和38年に真田神社と改称されました。真田の知謀にちなんで、学業成就にご利益がある神社と言われています。その影響もあってか、神社を入って左側にある絵馬には学業成就に関した内容のものが吊り下げられていて、またその場所を写真スポットとしてもお客さんに提供している。記念写真をとる場所としても人気であります。 | 2021-07-23 |
67 | | 上田城 大手門 | 大手門は城の正面にあり、上田城では門の枡形を構成する石垣と、その前南北に堀があっただけで城門は造られていなかったと言われています。 | 2021-07-23 |
68 | | 温泉薬師瑠璃殿 | 現在の建物は文化6年(1809)、地元の人々によって再建されたもの。この地には、温泉の薬効でさまざまな病気を治すという温泉信仰が昔から根強く、「るり」は、薬師如来を「瑠璃光如来」とよぶことからきている。舞台の上からは、別所温泉の旅館街を見渡すことができる。 | 2021-07-23 |
69 | | 北向観音堂 | 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。
安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられている。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益の願いが込められている。
また、北向観音堂の周りにはお店がたち並んでいて、北向観音堂だけではなく周りのお店でも楽しめるものになっている。 | 2021-07-23 |
70 | | 愛染堂 | 現在の建物は明治15年(1882)に色川徳兵衛が建てたもので小規模ながら精緻な彫刻が施され格式のある造りです。愛染明王が祀られ、一般民衆は愛欲を無罪とし、それを糧として幸福を得ることが出来ると解釈し「恋愛・縁結び・家庭円満」を司る仏として信仰が広がりました。 | 2021-07-23 |
71 | | 愛染カツラ | 樹齢1200年の老木で若い人からは縁結びの木と呼ばれています。天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向した霊木といわれています。昭和14年6月5日、長野県の天然記念物に指定されました。見た目から長い月日が思い浮かぶほど貫禄があり、見るだけで自然と力をもらえます。 | 2021-07-23 |
72 | | そば処 倉乃 | 上田市真田町渋沢標高1000mの霧下で、自家栽培、自家製粉したそば粉を、四阿山からの湧き水で打つ拘りの手打田舎そばのお店です。別所温泉の途中にあるのですが、別所温泉は上田市街地とは離れているため、目にする機会が少ないと思うので、投稿を通じて色んな人に知っていただけたらと思います。 | 2021-07-23 |
73 | | 北向観音堂 | 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。源平争乱の中で全焼したが、建長4年(1252年)塩田陸奥守北条国時により再興された。長い歴史があり、今の時代の幸せを願い極楽世界でも幸せがあるようにと建てられた。 | 2021-07-23 |
74 | | 別所温泉駅 | 別所温泉駅は1921年(大正10年)に上田温泉電軌川西線の「別所駅」として開業したのが始まりで、1924年(大正13年)には「信濃別所駅」に改称、さらに1930年(昭和5年)になって「別所温泉駅」と改称された。レトロな見た目でかわいいので、写真映えします。 | 2021-07-23 |
75 | | 江戸前三大そば | 江戸時代に生まれた「藪」「更科」「砂場」からなるそばの御三家。藪そばはつゆが濃く、更科そばは淡白でのどごしがよい。砂場そばはそばそのものの香りや味わいがよい。
それぞれ発祥は東京、長野、大阪。
参考
https://mi-journey.jp/foodie/28988/ | 2021-05-14 |
76 | | やまへい | やまへいは小諸市にある美味しい蕎麦を頂くことができるお店で、連日賑わいをみせている。また敷地の外には日本庭園を楽しむことができ、観光目的としても利用されている。個人的な感想として、建物が前の時代などにありそうな造りをしていてお店に入る前に見入ってしまうほどでした。昔の雰囲気を味わう事が出来ると思います! | 2021-05-05 |
77 | | 小諸城大手門 | 小諸城は城が城下町より下にある日本唯一ともいわれる穴城で、大手門はその入り口の城門である。平成の大修理を終え、以前の姿に甦った。この大手門は重要文化財に指定されており、東日本を代表する大手門建築の一つである。歴史と照らし合わせながら見ていくと、その時代にいるような気持ちにさせてくれるという印象でした。 | 2021-05-05 |
78 | | 懐古園 | 小諸市といえば、懐古園。と言うほど小諸市の有名な場所の一つである懐古園。小諸城跡にある公園で、懐古園の中には島崎藤村記念館や児童遊園地などもある。今回訪れた際も観光客が多数おり、小諸市を体感できる場所であると身をもって感じた。行ったことない方は是非1度足を運んでみて欲しいと思う。 | 2021-05-05 |
79 | | 相生町商店街 | 小諸駅から登っていくと真っ先にあるのがこの相生町商店街。現在では閉まっているお店も増えてきてしまったが、現代の風潮に合わせた街づくりを展開していけば全盛期以上の盛り上がりを見せるのではと感じた。そう感じるのも、その周りには真新しい施設が幾つか出来ており、観光客が訪れるきっかけになっていると思うからだ。私自身も街の活性化の手伝いを何か出来たらいいなと感じている。 | 2021-05-05 |
80 | | 北国街道 | 北国街道とは野尻から追分まで続く江戸幕府によって整備された脇街道で日本の街道の1つです。小諸市のある場所から撮ったが、ここを見ていると現代とはまた違うレトロな印象を与え、残存し続けているのが面白い。 | 2021-05-05 |
81 | | 安楽寺 | 安楽寺では、ご本尊に釈迦牟尼仏。
両脇に文殊と普賢の菩薩をまつっている。
本堂に突き当たって左の階段から国宝八角三重塔へ向かうことができる。
参道沿いには重要文化財や記念碑が並ぶ。
安楽寺は禅宗としては、鎌倉の建長寺と並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。
1588年頃、高山順京が曹洞宗に改めました。
高い山の上でひっそりとたたずむ安楽寺には神秘感が漂います。
かやぶき屋根で厳かな雰囲気の安楽寺に心が浄化されます。 | 2021-05-05 |
82 | | 七苦難地蔵尊堂 | 別所温泉駅から北向観音境内に向かう道の途中にある立派な地蔵尊堂。
北向観音の別当である安楽寺の地蔵尊をこの場所に設置し七苦難地蔵尊として祀ってある。
地蔵尊堂でこれほど立派なものは見た事がなく驚いた。
地蔵尊堂にはたくさんの名札が貼られていた。
お供え物もしてあり、別所温泉の地域の人々に大切に、愛されていることがわかる。 | 2021-05-05 |
83 | | 温泉薬師瑠璃殿 | 別所温泉北向観音境内にある温泉薬師琉璃殿。
この温泉薬師は伝説には行儀菩薩の創建、慈覚大使の再建と言われているが、以前の一は今の「大師湯」の西隣にあったそう。
1741年湯川の氾濫によって薬師堂は流され1743年から再建を湯本講中で計画したとのこと。
現在も残る建物は1809年に湯川講中の積立金により再建された。
崖に建てられた薬師堂であるがその安定感に驚く。
建設の方法に昔の人の知恵が絞られているのではと思う。 | 2021-05-05 |
84 | | 島屋菓子舗 | 別所温泉、北向観音裏参道にある和菓子の専門店「島屋菓子舗」。
季節のお菓子を中心に、自家製オリジナル製の商品の製造販売を行っています。
一個から厄除饅頭を買うことができるお饅頭屋さん。
どら焼きやバターどら焼き、黒胡麻クルミ餅なども購入可能。
別所温泉には島屋菓子舗以外にも、鹿教湯温泉中程に位置する「塩川菓子舗」さんや「手塚屋製菓舗」などの和菓子屋さんで、厄除饅頭を販売しています。
別所温泉で厄除饅頭のお気に入りのお店を見つけることもできそう。
お土産や小腹の空いたときにおすすめだと思いました。 | 2021-05-05 |
85 | | 自然と暮らす喫茶 hanatoki | 2020年12月に別所温泉にオープンしたカフェと雑誌のお店「hanatoki」。
パンとお菓子のお店「marufugi」さんの店舗を借りて営業中だそうです。
「自然と暮らす喫茶」というお店の名前がぴったりなお洒落なカフェ。
古民家を改築したカフェを営業中で、深煎りコーヒーやブレンドコーヒーの他にプリンやベイクドチーズケーキなどのデザートも食べられます。
マフィンや焼き菓子をテイクアウトすることも可能。
お子さん連れのお客さんもいらっしゃいました。
コーヒー以外にもカフェオレ、リンゴジュース、シロップジュースなどがありお子様も気軽に来られるカフェ。 | 2021-05-05 |
86 | | 諏訪神社 | JA信州うえだ営農部塩田営農センター近くにある諏訪神社です。諏訪神社は,長野県の諏訪湖にある諏訪大社が総本社となっています。全国におよそ25000社ほどあります。諏訪大社に関係する施設が上田市にもあるとは思いませんでした。 | 2021-05-05 |
87 | | 月窓寺 | このお寺は私のバイトしているスーパーの裏側にあり、スーパーの駐車場から頭だけ見える位置にあるので、ずっと気になっていた場所です。入り口は別の所にありますが、横側からでも入ることが出来ました。ですが、せっかくなので正面の入り口まで戻り、参拝しました。月窓寺は今回の調査の中で一番大きなお寺です。
月窓寺は、海野一族の真田幸隆公の弟、隆永公が開基です。境内には赤松小三郎の髪の毛を埋めた墓があります。
そして、月窓寺を調べたときに「山門は竜宮門(鐘楼門)で天井には龍の鏝絵が描かれています。」と書かれていたので実際に見てみると、見事に美しい龍が描かれていました。 | 2021-05-05 |
88 | | 志のぶ 精肉店 | 長野県の箕輪町にある、精肉店です。
ここのお店の特徴は「馬刺し」が売っていることです。癖がなく、おいしいと評判です。
お肉に厚みもあり、安いというわけでもないですが、多くのお客さんが買いに来ます。 | 2021-05-05 |
89 | | 原田市神社 | 長野銀行の駐車場に堂々とした様子で建てられている神社です。今回の調査の中で一番小さい建物で、車で走っていたらなかなか気づきにくいこともあります。
なぜこんな所に建てられているのか気になり、調査しました。この神社の説明には、「城下町を造るにあたって市の守護神である高市事代主命を勧請して祀った神社」と書かれています。そして、ここまで小さくなってしまった原因は「第二次世界大戦後に道路が拡幅されたからだ」とも書かれています。供えられている供物や植えられている植物がしっかりと手入れされていたので、今でもなお忘れられず、崇拝されているのだと考えます。 | 2021-05-05 |
90 | | 上田育英館 | 上田電鉄別所線中野駅から徒歩5分程度の場所にあります。
文献(地図)を調査しましたが,見つけることが出来ませんでした。しかし,少なくとも建物の状況から数十年前であると考えられます。現在は,市の空き家対策課によって,バリケードが設置されています。
昔の子どもたちが学校以外の場でどのように学習するのか知ることができました。 | 2021-05-05 |
91 | | 薬師如来像と薬師堂 | 薬師堂とは,薬師如来を本尊とする仏堂の呼び方です。薬師如来とは,病気などに効果がある仏とされています。
この薬師堂は江戸時代後期より存在していたとされており,昭和になり向きを変える移築作業が行われました。その後,平成25年(2013年)に現在の建物が建築されています。
身近なところにとても歴史が深い建築物あり,とても驚きました。 | 2021-05-04 |
92 | | 日露戦没忠魂碑 | 1904年から1905年にかけて勃発した日本とロシアの戦争による戦死のための慰霊碑です。このような戦争とは関わりのないと思っていたところにもこのような記念碑があることに驚きます。 | 2021-05-04 |
93 | | 中塩田小学校 盈進学校・本郷学校跡 | 現在の上田市立中塩田小学校の敷地内にある盈進学校・本郷学校跡です。盈進学校は1873年に開校し,1886年から本郷学校になりました。
ぱっと見ただけでは学校の歴史がわからない中,思っていたよりも歴史が長いことに驚きました。
【参考】
上田市立中塩田小学校 「中塩田小学校のあゆみ」 (2009)
http://www.school.umic.jp/nakashioda/syoukai/cat19/20090730-114954.php | 2021-05-04 |
94 | | 武石の森 | 長野県上田市にあるアウトドアができる武石の森に行きました。ため池にいるニジマスとイワナが釣れ、その場で調理し、食べることが出来ます。美味しかったです。また行きたいなあ | 2021-05-03 |
95 | | 野沢菜漬け | 野沢菜の発祥は、一説には野沢温泉村にある健命寺の8代目住職が宝歴6年(1756年)に京都から持ち帰った天王寺かぶの種を寺畠にまいた際、その天王寺かぶの種から違った形のかぶ菜ができ、その後、系統選抜をして育てたものが最初とされていましたが、
この説は近年の研究で、天王寺かぶの系統ではないというDNA鑑定の結果が出ており、かぶに由来する別の変種と考えられています。
野沢菜漬けの材料
野沢菜80g、塩2.5~2.8kg、醤油1.8L、酒または焼酎1.8L、だし昆布、唐辛子
一般的な作り方としては、洗う、塩水に漬けるを繰り返しその後発酵・熟成させると出来上がるようです。
漬けて2~3週間後から食べられますが味の安定は1か月かかるそうです。
参考文献:「つけものの味ふるさとの味」長野県農業改良協会、「信州の発酵食」小泉武 | 2021-02-10 |
96 | | 感想 | 今回地域探求として、長野県の美術館と上田市のサントミューゼについて調べました。
特に、なぜ長野県には美術館が多いのかがとても勉強になりました。
調べていく中で、長野県の美術館が全国的に見て、思ったよりも多くて驚きました。長野県の美術館をたくさん調べて、行きたい美術館を見つけることができました。
実際行って見た感想などをまたデジタルコモンズに投稿できたらいいなと思います。 | 2021-02-01 |
97 | | サントミューゼ美術館概要 | 〈美術館概要〉
常設展示室、企画展示室を2階に配置し、ゆったりと作品をご鑑賞いただける空間としました。大ホールとの行き来もしやすく、公演の前や後にもお立ち寄りいただけます。
1階には、市民アトリエ・ギャラリーや子どもアトリエなどを設置。貸し出しも行っており、誰もが気軽に創作や発表を行うことができます。
〈美術館施設〉
◆企画展示室
鑑賞しやすいシンプルな形状、自由度が高く広い展示壁が特徴の展示室です。
5枚の可動壁と2箇所の展示ケースを設置し、大型の作品や資料まで多様な展示計画に対応できます。
◆常設展示室
常設展示室では、作品・資料などの展示を通じて郷土上田にゆかりのある作家の顕彰を行います。
◆市民アトリエ・ギャラリー
市民の誰もが気軽に、日ごろの創作活動の成果を発表できる場と | 2021-02-01 |
98 | | サントミューゼ施設紹介 | サントミューゼには美術館のほかに様々な施設があります。
〈施設紹介〉
◆大ホール
大ホールは、1530席の客席を設け、音楽、演劇、オペラ、バレエ、古典芸能や講演会、など、様々な利用に対応できる多目的ホールです。音響性能に優れ、また客席と舞台までの距離は最大視距離31mと、観客と舞台の一体感が感じられるホールです。
様々なニーズへの対応と、それに応じた使用料金設定が可能となります。
◆小ホール
小ホールは、音楽、演劇、舞踊、講演会など、幅広いジャンルの演目に対応できるホールです。320席の客席を設けた多機能ホールで、客席を取り囲むような形で2階にバルコニー席を設けます。
◆大スタジオ
大ホールの主舞台と同じ広さを持ち、リハーサルや公演も可能な空間として設置。様々な舞台芸術の練習や発表にも利用 | 2021-02-01 |
99 | | 上田市立美術館サントミューゼ | 今までの投稿で長野県全体の美術館について探求してきた。今回は上田市の美術館であるサントミューゼについて調べていく。
〈サントミューゼの概要〉
サントミューゼ(上田市交流文化芸術センター・上田市立美術館)は、平成26年10月2日に開館しました。大小ホール、美術館、交流芝生広場など、多くの皆さまが芸術とふれあい、人々が交流する場として整備されています。
苗木を植え、育て、木になり、森になる
芸術を通じて感じたこと、体験したことは心のどこかにずっとあり続けます。
森になるには、長い時間がかかります。
でも、まちやひとが芸術や芸術家を通じて感じたことが、このまちの財産となって、いつか大きな木になり、森になってほしい。
サントミューゼがまちとともに続ける活動には、そんな想いを込めています。
| 2021-02-01 |
100 | | 長野県の美術館紹介 | 長野県の美術館を紹介します。
すべて紹介するときりがないので、じゃらん観光ガイドの長野県の美術館TOP10を紹介します。
◆軽井沢千住博美術館
世界で活躍する日本画家・千住博の作品を美しい樹々や花々とともに楽しんでいただける美術館です。
◆世界の影絵・きり絵・ガラス・オルゴール美術館
ビーナスラインの中心地。白樺湖で、通年営業の美術館です。
◆北斎館
葛飾北斎の肉筆画・画稿・書簡など50点と北斎筆の天井絵で知られる上町・東町の祭り屋台2台(県宝)を展示。龍と鳳凰、男浪・女浪の怒涛図が、時代を経た今、美しく妖しい魅力をかなでています。
◆松本市美術館
鑑賞の場、表現の場、学習の場、交流の場を4つの柱とした地域に根ざす開かれた美術館です。松本市出身の芸術家・草間彌生の作品展示のほか上條信山 | 2021-01-31 |