筑波研究学園都市が建設されたのは1970年代からのこと。私が高校生だった1970年代後半はまだ都市全体が造成中でした。それからかれこれ40数年が経過しました。
当時としては都市計画をして形成された稀有な計画都市です。日本の都市計画の威信がかかった都市計画であったともいえます。その後40年も経過すると建物は老朽化し未だにそこに暮らし続けることの厳しさを感じます。多くの公務員宿舎などが廃屋となり、実質的に放置されています。その荒廃は驚くばかりです。
竹園一丁目住宅は現在も使われているアパートです。その入口に古い研究学園都市の周辺地図がありました。1987年に「つくば市」になる以前の「桜村」「谷田部町」の旧町村名で記されています。まるで時が止まったかのように過去の学園都市が眼前に現れたかの印象を受けます。
緑豊かな都市環境も学園都市のウリの一つでしたが、樹木はいやおうなしに伸び続け、雑草も生い茂り、美しいとは言いかねる環境と化しているところも目に付きます。私の自宅の庭木ですら処置に困るほどなのに、広い都市空間の樹木をコントロールすることは現実には無理です。造成した後の森は自然の成り行きに任せる明治神宮の森と同じ状況が学園都市の緑環境でも起きています。その一方、大規模なマンションが続々建設されてもいます。都市計画された都市がやっと再生される次の段階に立ち至ったと捉える方がよいでしょう。
地区コード | 茨城県 |
---|
ハッシュタグ (キーワード) | |
---|---|
ライセンス | 表示(BY) |
投稿者 | ミッチー |
管理番号 | 3206 |
---|
カテゴリ名 | 地域の記録 |
---|