★神川小学校 昭和初期の子どもたちの絵―児童自由画教育運動の流れをくんで―
https://museum.umic.jp/kangawa/
『山本鼎物語』の著者、神田愛子さんから神川小学校の昭和初期の子どもたちの絵を上田市マルチメディア情報センターがデジタル化したというお話を聴き、同センターを訪れました。神川小学校の「山本鼎先生の部屋」に保管されている600点の児童画があり、それらがデジタルアーカイブ化され、ネットに公開されています。
この絵たちを見て、小中学生が描いたとは思えないほどに大人びていて、「えっ、これが自由画なの?」という疑問を抱きました。写生の技術がしっかりと指導され、「いい絵はこう描くんだよ」という模範的作品が並んでいます。その当時、絵の具をふんだんに使い、模範的な写生画を描くことが訓練された結果としての絵画に見えました。自由画って何だったのだろう。見方を変えると、指導されて矯正された結果としての「上手い絵」ではないのだろうか。
山本鼎の児童自由画教育運動の、その後の展開がこのようなものになったということに、教育や社会というものの難しさが物語られています。もはや「自由画」ではなく「優等生的絵画」です。うーん。
その後、神田さんにそのことを伝えると神田さんも同じようにお感じでした。山本鼎が自由画運動をしていた頃、竜丘小学校で児童自由画教育が取り組まれ、当時の子どもたちの絵が残っているとのこと。近々、竜丘小学校に残っている山本鼎の当時の児童自由画を上田から見に出かけるとのこと。ちなみに同校ホームページには沿革に次のように記されています。
>大正12年4月 野口雨情、中山晋平氏来校 童謡講習会開催
>8年9月 木下紫水先生を中心に全国第2回児童自由画展覧会開催
(竜丘小学校HP http://okasc.ed.iidanet.jp/ )
上田から飯田を訪ね、現在は上田には失われてない山本鼎が指導していた当時の「本来の自由画」を見て、当時の上田を知る。非常に意義深い「信州上田学」がここにあると思います。
地区コード | 上田地域(上田市) |
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管理番号 | 1054 |
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カテゴリ名 | その他 |
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