那須与一は、『平家物語』や『源平盛衰記』に登場する武将です。与一とは10あまり1、つまり11男を示す通称となっています。その名の通り10人兄がいますが、10人のうち9人が平氏の味方となり、残る1人も罪を得てしまったため、与一が家督を継ぎました。その後与一は彼らに那須各地を分地します。屋島の戦いにて扇の的を射ったことで有名です。
誕生日は不明で、京都伏見にて病死、即成院に埋葬されたと伝えられています。しかしその年月日は史料により異なり、那須系図(那須隆氏蔵)、那須拾遺記によると1189年8月8日、那須系図(続群書類従)によると1190年10月となっています。
那須与一が頼朝より与えられたと伝えられる荘園は以下の五つです。
・丹波国五賀庄(京都府船井郡日吉町)
・信濃国角豆庄(長野県松本市、塩尻市)
・若狭国東宮河原庄(福井県小浜市)
・武蔵国太田庄(埼玉県行田市、羽生市)
・備中国荏原庄(岡山県井原市)
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