上窪池は1645年に池を改修するまで「泥池」と呼ばれていた。
1957年の新農村建設で、ため池を使って養鯉を計画した際、その先頭に立ったのが上窪池である。これが成功し、塩田平の他のため池にも広がった。そして、1975年頃には生産量が1千トンを上回り、「塩田鯉」として全国に名をとどろかせた。
現在、上窪池のほとりにある泥宮の境内に「塩田鯉」と刻まれた石碑が建っている。
山田池でも養鯉が行われていたが、この上窪池が始まりであったことが分かる。
〈参考文献〉
信州上田 塩田の里
http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php
地区コード | 上田市 |
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管理番号 | 12 |
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カテゴリ名 | 私の地域探究 |
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