「其の方年来の忠信、祝着に候。然らば本意の上に於て、諏方(訪)方(形)参百貫并ならびに横田遺跡上条、都合千貫の所これを進じ候。恐々謹言。
天文十九庚戌
七月二日 晴信(花押)
真田弾正忠(幸隆)殿」
この文書が効力を持つことになったため、上田の地にかなりの土地を得ることができたわけでありに幸隆の子昌幸が上田城を築くもととなったともみられる文書であり、その意味でも貴重なものであるとされています。
武田信玄は真田一族と深い関わりをもっていることがわかります。
https://museum.umic.jp/sanada/siryo/sandai/020202.html
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投稿者 | りんご |
管理番号 | 21 |
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カテゴリ名 | 文書記録 |
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