上田市の勝俣英吉郎は蚕都上田の絶頂期に当たる1922年、第2代市長となり文教に重点を置いた施策を次々と実施します。その一つに「上田市民大学」があります。勝俣自身、上田自由大学の聴講生でもあり、「先ず郷土を知れ」の信条のもと、後に『上田市史』(1940)を執筆する藤澤直枝を起用し、地域に密着した学習を奨励したと言います(下記参照)。
地域学習の原点としても顕彰される実践です。
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上田市民大学開講
上田自由大学の聴講生だった勝俣英吉郎は大正十三年七月、市長に就任すると同年九月に上田市民大学を発足させました。勝俣は図書館の充実、市営運動場建設、徴古館(現上田市立博物館)の開館など社会教育重視の施策を打ち出しましたが、市民大学開講もその一つでした。「先ず郷土を知れ」を信条としていた勝俣は、上田中学教諭藤沢直枝を起用し、講座に「郷土史」を加えるなど地域に密着した学習を奨励しました。藤沢の講義は連続九日間、午後七時から九時まで市役所で行われました。
大正十五年五月からは内容をさらに充実させるため、市から六○○円の補助金を支出し会場を市立図書館へ移しました。内容は金子馬治「カントの哲学」、吉江孤雁「文芸の本質」、寺尾元彦「休業銀行問題の法律観」、山本忠典「電気発達とその寄与」などの一般教養と生活に必要な知識の講座のほか、藤沢直枝「川中島戦史」、三沢勝衛「郷土の地理学的考察」など地域を知るための課外講義が行われました。聴講は会員制で商業二九人、教員二五人、農業二○人、会社・銀行員一九人などとなっており、登録会員は一二八人でした。
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『上田市誌』第29巻「総説 上田の歴史」 第六章 近代化する町と暮らし 四 市民による社会教育の展開 pp.165-166
地区コード | 上田地域(上田市) |
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管理番号 | 1433 |
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カテゴリ名 | 人物伝 |
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