地域のありようは長い間には大きく様変わりします。昔その地域がどうであったのかを確認するにはその当時の資料が欠かせません。人の記憶の中にその様相は残っていても、第三者がそれを確認できるのはデータとして残された何らかの記録です。証言のような言葉(人の記憶)でも補えますが、それを証言してくれる映像なり、道具なり、資料なりがあってその確認ができます。
先日、上塩尻のSさんのお宅を訪問しました。蚕種製造の中心地・上塩尻の古い資料をデジタルアーカイブ化しようというのがメイントピックです。過去に上塩尻の記録がまとめられたものとしては『塩尻地区写真集:20世紀の歩み』(1999年、塩尻地区写真刊行会)があります。
Sさんのお宅にあった一枚の写真に注目。少年たちと大人たちの集合写真です。脱穀作業を共同で行った時の記録と思います。少年たちは国民服を着ています。1940年代前半の撮影ではないかと思われます。その背後に段々畑の桑園がはっきりと写っています。
『塩尻地区写真集:20世紀の歩み』掲載の塩尻小学校(当時は国民学校)の写真にもその背景に段々畑の桑園が写っています。塩尻小学校の校庭で執り行われた日中戦争の戦没者村葬の記録写真(昭和12~13年頃)です。
整然と整地されてよく見えていた段々畑の桑園が70年ぐらいの間に山林と化し、地域の景観から失われたことがよく裏付けられます。
地区コード | 上田地域(上田市) |
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管理番号 | 1057 |
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カテゴリ名 | 写真記録 |
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