| 写真 | タイトル | 説明 | 登録日 |
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1 | | 1 地域探求のテーマと目的 | テーマ:旧坂井村と戦争
第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。知識としては知っていても、感覚的にどこか遠く感じてしまう。
その理由として「70年以上前のこと」という時間的要因の他に、「自分の身近に感じにくいスケールの大きさ」が要因として考えられる。
小中高それぞれの学校では、日本全体や世界全体の戦時中の出来事を学ぶ機会が多く得られるため、ある程度多くの人が知識として戦争について知っている。しかし、スケールが大きすぎてしまい、どこか他人事の様に感じられてしまうこともある。
そこで、都道府県単位や市町村単位における戦時中の出来事から、戦争をみていきたいと思う。都道府県や市町村ごとであれば、現代を生きるそれぞれの人にと | 2022-01-27 |
2 | | 比較から見る上田市工業の強み | 上田市の隣には、機械・金属工業の中小企業を中心とし、優れた技術力を持つ坂城町がある。工業の分野が似ている両市町には、どのような違いがあるのか。
今回は坂城町と上田市それぞれの工業統計調査を参考にし、それらを比較するための指標として、平成30年における両市町の[①事業所数②従業者数③製造品出荷額④現金給与総額]四つを用いてみた。
《上田》 《坂城》
① 390事業所数 204事業所数
② 18890人 6068人
③ 52,667,396万円 22,748,130万円
④ 9,066,947万円 2,874,596万円
上記からもわかるように、精密機器や機械・金属という主要製品が同じでも、上田の方が製造品出荷額と現金給与総額が高い。これは事業所数・従業者数が上田の方が多いことに加え、大企業の工場を有していたり | 2022-01-25 |
3 | | 信州は山の国 | 信州も信濃も、ほとんどいまと同じ長野県のことだと、初めて知りました。
信濃の地名は、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」「級」(しな)に由来しているとされ、名付けられ方で分かるとおり、坂と峠の多い県です。
長野県は、四方八方を2,000~3,000m級の山々に囲まれたまさに山国。県面積は、1万3,562.23平方キロメートル。(境界未明含む)全国第4位の広さです。
総人口は206万5,359人 (2,018年7月1日時点)ですが、
人口密度は1平方キロメートルあたり152.3人で、全国で下から9番目と少ないことも、山国の特徴。
県のほぼ全域が標高500メートル以上、
可住地面積の割合が低く、また人口密度(1平方キロメートルあたり)も152.3人と全国で第38位にランクインするぐらい少ないなど、山国の特徴が顕著に出ています。
特に、妙高山(2,454 | 2022-01-24 |
4 | | 山道と雪 | 色々な山道を走ってきて、特に雪道の状況の違いがあるなと感じた。
国道406号なら、上田側はアスファルトが見えるくらい除雪・融雪していたのに対し、須坂側はほぼ白一色だった。
この場合は北側である須坂の方が降雪量が多い、カーブが多く除雪のしにくい等の理由があるのではないか。
同じような時間帯に通っても、ある場所は凍っていて、ある場所は路面が乾いていることもあった。
その日その日の天候や気温、高度、山の北側か南側かなど多くの要因が複雑に作用しあっているため、違いの法則性を見つけることは難しそうだ。 | 2022-01-24 |
5 | | 冬の菅平 | 厳しい寒さで有名な菅平だが、冬場のアクセスについて考えてみる。
前の記事で書いた通り、冬季は県道34号が通行できなくなる。
そのため、長野市から直通で菅平に行くことができず、須坂のほうまで迂回しなければならない。
また、国道406号は通行止めが無いとは言っても、須坂側は勾配がきつくヘアピンカーブも多いため、お世辞にも走りやすいとは言えない。
対して上田側はきついカーブが少なく、雪量も比較的少ないので、アクセスがしやすい。
雪道において走りやすい、不安要素が少ないことは、明らかな上田側のメリットである。 | 2022-01-24 |
6 | | 国道406号、須坂側 | こちらは須坂側の様子。
写真から分かるように、路面に雪が残っている。
この日は上田から上って須坂に下り、帰りは須坂から上田にという感じで走ったが、須坂側は明らかに路面上の雪が多かった。
道幅は上田側と比べると若干狭いように感じられた。
晴れていたこともあり、まるで天に繋がっているかのような景色が見られた。 | 2022-01-24 |
7 | | 菅平高原 | 菅平高原は上信越高原国立公園に属し、冬の寒さが厳しい土地。
数多くのスキー場があり、冬季はウィンタースポーツを楽しめる。
県道34号長野菅平線が冬季通行止めとなり長野市からのアクセスはできないが、国道406号を使い上田市・須坂市からのアクセスが可能となっている。 | 2022-01-24 |
8 | | 旧坂井村と戦争 | 地域探求テーマ:旧坂井村と戦争
西上田事報などをこれまで調べてきた際に、戦時中に地方の地域ではどのようなことが起こっていたのか、地域ごとにどれほど戦争によって被害を受けてきたのかを知ることができた。
第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。戦争と地元地域を絡めて探求していくことで、より身近に、自分ごとに戦争や自分の出身地域について考えることができると感じた。
また今回は旧坂井村(現・筑北村坂井)の地域を対象としていきたい。
アウトプットの時点では、戦時中の状況を現在に置き換えるなどして、読者がより自分ごとに分かりやすく感じることができるものを目指す。
参考文献:坂井村史
但し著作権等について確認がまだ取れていないため、変更す | 2021-12-23 |
9 | | アリオ上田前の無電柱化の工事写真 | これは上田のアリオ前の交差点を撮影したものである。前回は別所線の城下駅から赤坂上駅の間で電柱の地中化について触れたが、今回は少し離れた上田のアリオ前でもやっていたことからこの工事は一部分の電線の地中化ではなく大規模な工事なのではないかと思った。そのため、インターネットを使い上田市の電柱の地中化について調べてみると上田市が公式に出している計画案を見つけることが出来た。
電線の地中化の工事は写真のように一度あった歩道や道路を掘り返して設置していくため、多くの手間と時間がかかる。 | 2021-12-22 |
10 | | あんかけ焼きそばとの出会い | 以前から耳にしていた「上田に来たならあんかけ焼きそばを食べるべき」というおすすめを聞いて、気になっていました。バス停から少し上り坂を上ったところにあるお店「しんりん」さんで無事いただくことができました。
酢とからしをかけて食べた方がさらにあんかけ焼きそばの真価を味わえたと思いますが、忘れてしまい、かけずに食べきってしまいました。
それらを抜きにしても、濃すぎず、冷たい体に染みるような、ちょうど良い温かさのあんかけと、焦げ目がついて香ばしい味がするちりめんが程よいバランスでとても美味しかったし、ボリュームがあるあんかけ焼きそばをお腹いっぱい食べることができて、あんかけ焼きそばへの好感度が上がりました。
発祥は、真田坂を上った先にある海野町商店街を左折したところにある福 | 2021-12-15 |
11 | | 標高605m | 上田駅発の菅平線バスに乗り、揺られること20数分…
スポットライトに照らされた「幸村の里」の大きな看板を目印に、降車を決意しました。
降りたのは「殿城口」というバス停でした。
この写真は、歩道を歩いていて目に入ってきた看板を撮影したものです。上田市は上り坂も下り坂も多く、山の上にいる事を体感しますが、こうして看板を見ると、より山の上にいることを実感します。 | 2021-12-15 |
12 | | 「上田市の主な工業」まとめ | 今回、上田市内における十の企業を調査気づいたことをまとめていきたいと思う。
まず一つは、やはり機械・精密機器製造が盛んであったということだ。上田市は隣接する坂城町同様に機械・精密機器を工業の強みとしているという情報は調査前に持っていたが、実際に具体的な企業を通じて知ることができた。逆に、針や食料品などの製造にも大きな役割を持っているということも確認でき、多様性も見ることができた。
次に、全国、または世界に展開する企業が複数あったということだ。上田という地から多くの製品が広がりを見せていくというのは、上田で学ぶ人間として驚きであり、誇らしいことでもあった。
今回は数多く存在する中小企業に触れることができなかったために調査結果としては物足りなさがあるが、上田市の工業における一般 | 2021-12-20 |
13 | | 別所温泉駅② | 別所温泉を出てすぐには古い電車や名物のおはぎやだんごを売っているお土産屋さんが2つほどあり、少し遠いですが下っていくとあいそめの湯という温泉もあった。この付近はかなり道が綺麗にされていた。
逆に坂を昇っていくと別所温泉遊歩道になり、石湯などいくつかの温泉や北向観音があった。標識がいくつか建っていて、外国語表示のものもあり観光地としてかなりいいと思った。しかし、駅を出て遊歩道に向かう途中から道があまり舗装されておらず歩きにくい印象を得た。舗装されているのが駅前の少しの範囲だけなのでそこを改善出来たらいいと思う。また、フィールドワークで来るまでおはぎやだんごが名物として売られていることすら知らなかった。 | 2021-12-20 |
14 | | 鳥居峠 | 鳥居峠は国道なこともあり、路面はかなり綺麗。
道幅は広く、登坂車線もある。
写真は上田側に降りていく途中で、チェーンの脱着ができるようなスペースにて撮ったもの。
以前夜間に通った際、チェーンをつけている車がいたところだ。
写真からわかるように、昼間でも標高が高いので雪が残っている。
これから冬本番、もし通行することがあるならば、夜間と早朝は特に注意が必要だ。 | 2021-12-01 |
15 | | 塩田平自転車巡り | 柳沢バイパスを進んでいくと途中で無言館へ向かう道をずっと上っていくと前山寺の隣にあるカフェ。上り坂は正直なところ体力に自信がある人でないと自転車で登るのはかなりきつい。しかし、その分カフェから眺める景色は絶景である。 | 2021-11-22 |
16 | | 山から | 前山寺に向かう途中にある公園からの風景です。
澄んだ空気が気持ちよく、見晴らしが良かったです。
長い上り坂だったので疲れがありましたが、この風景を見て達成感がありました。 | 2021-11-17 |
17 | | ぶしもりや めんめん | 赤坂駅近くにある、つけ麺専門店。このお店では、豚骨魚介スープの「ぶしもり」が一番人気で、もちろん私はこれを頼んだ。麺の量や温度など色々と変えることが出来、私は麺の量「基本」、麺の温度「あつもり」にした。今回の来店で二度目なのだが、前回は「中盛」で痛い目をみたので今回は「基本」にしてみた。
麺はかなり太く、コシがあり、食べ応えがある。つけ汁は、とても濃厚な豚骨と魚介のスープで、中に角切りのチャーシューが入っていた。このチャーシューが柔らかすぎて、口の中に入れるとホロホロと溶けてしまう。
そして、食べ終わるとかなりの満腹感を得られた。食べに行く方は自分の空腹感とよく相談して、麺の量を決めてもらいたい。 | 2021-11-15 |
18 | | 別所神社 | 腹ごしらえをし、向かった先は別所神社。温泉街を歩いていて目に入ったので行ってみた。上り坂が急で大変だった。
こちらは昔から縁結び・子宝の御利益があると言われている。ご本殿はお堂の裏にあり、少し驚いた。
また、ここからは別所温泉の町並みと山、そして空を一望できる絶景スボットになっていた。幸いにも晴天に恵まれ、素晴らしい景色を堪能することができた。 | 2021-11-14 |
19 | | 蛇沢大橋 | 上田特有の急坂を上って上田バイパスに出ると蛇沢大橋はあります。高架橋であるため、足が竦むような高さがあります。しかしその高さを活かした景色は長野の緑豊かさを満喫できます! | 2021-11-14 |
20 | | 半過山口橋 | 半過山口橋は上田坂城バイパスを上田方面に降りていく橋です。
「上田 道と川の駅」を通ることもあり、交通量が多い重要な橋です。
また、長野県の天然記念物である半過岩鼻(写真左)、下塩尻岩鼻(写真右)が一望できるのも特徴です! | 2021-11-13 |
21 | | 調べて出てこない場所でも名前があるところ以上の価値がある場所も存在する | 3つ連続で同じ時系列の投稿にはなるんですけどまたまたタタラ塚古墳に向かう途中の話です
ホントに特に何か施設があるわけでもなく民家しかない坂でした。上りがけっこうきつかったので自転車を降りて歩いて上っててさすがに疲れたなーと思って立ち止まりました。それでなんか予感がして後ろをふと振り返ったらこんな景色が広がってるじゃないですか!
こりゃ撮るしかねえなああ!
そんな感じで撮ったんですけどもう1週間早かったら真っ赤じゃなくてもうちょい色々な色のコントラストが広がってて惜しいことしたなーみたいな感じになったとはいえ、まあ綺麗ですよね
来年のリベンジに期待ですね!(リベンジすること多いな笑)
ここをゲームで使うとしたらイベントカードとして味方の士気を上げるみたいな感じで春夏秋冬バージョン | 2021-11-12 |
22 | | 上田の道路と環境の関わり | 上田駅から長野大学の道のりで道路と環境が関わることを探してみた。
1枚目の上田駅温泉口近くの写真は普段何気なく見る街路樹の写真である。街路樹には、景観を向上させるメリットや車の排気ガス・騒音などを緩和させる役割、更には夏の強い日差しを和らげるなど沿道の環境を良好に保つメリットがある。また、他にも街路樹があることで道の曲がり方などが分かりやすくなるため、ドライバーの視線誘導にも役立っているとのことである。
2枚目の写真は千曲川の両脇の土手沿いの写真である。土手(堤防)はこの場合川の氾濫を抑え込む役割であるが、その他にも交通渋滞の緩和を促す役割もあり渋滞緩和から排気ガスの充満も減少させることが出来る。
3枚目の写真は別所線の城下駅から赤坂上駅付近の道路の写真であり、電線の地中化が | 2021-11-15 |
23 | | 2020信州上田学Aふり返りまとめ | ▼全体まとめと成果
- 2020信州上田学A講義録(担当教員:前川道博)
- 信州上田学A2020⑭オンライン発表会記録 2020/07/29
- >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼上田市行政チャンネル
- >長野大学公開講座「信州上田学A」学生と市民の合同発表会 2020/07/29
- >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼学生受講生のマイサイト ニックネーム、テーマと内容は一致していないケースがあります。
- 上田の食
| 2021-10-06 |
24 | | 上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から) | 『上田市史・下巻(1940)』の「社寺古墳及人物誌/人物篇」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成)
人物01 真田昌幸 真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。
人物02 真田信之 真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。
人物04 真田幸村 幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。
人物05 仙石政俊 先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の | 2021-07-21 |
25 | | 信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から | 信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文)
講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授)
▼元の講演はコチラ
https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779
信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回
2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ
【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸
■そもそも蚕糸業とは?
今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
| 2021-07-15 |
26 | | 人物52 久米由太郎 | 嘉永五年二月二十四日江戸小石川小日向新坂に生る。(略)
稀に見る盛儀なりき。
『上田市史・下巻(1940)』1265頁を転載
(目次位置)
社寺古墳及人物誌
人物篇 | 2021-07-14 |
27 | | 小県蚕業学校-1 | 小県蚕糸学校は日本初の中等教育機関としての蚕糸学校として1892(明治25)年に設立されたが、その初代校長となった三吉米熊は、坂本龍馬と行動を共にした活動家として知られる三好慎蔵の子として生まれ、1881(明治14)年に長野県に出仕した。農芸化学専攻で当初は蚕糸業の知識が全くなかった米熊であったが、上塩尻村の藤本家で実習を重ね、微粒子病における顕微鏡使用法の提唱及び指導など実績を残した。またこうした実績を基に1888(明治21)年にはイタリア・フランス蚕糸使節団の一員としてヨーロッパに赴き、現地の試験場や製糸場などを徹底的に視察してその実情を知る。こうした中、小県郡では郡長の中島精一を中心に蚕業界で蚕業学校設立の機運が高まり、その初代校長に米熊を推薦する声が蚕種業者らの間で広がった。これにより前述の | 2021-06-06 |
28 | | 阿梅の墓、真田大八(片倉守信)の墓 | 白石市の当信寺に阿梅の墓、片倉守信の墓が並んで建っています。阿梅は幸村の三女、片倉守信は次男、真田大八です。真田幸村は大坂夏の陣の際に、敵将であった片倉重長に子どもの養育を託したと言われています。重長は阿梅、姉妹の阿菖蒲、おかね)、大八を養育しました。
阿梅は重長の正室の死後、重長の後妻となります。大八は片倉守信と改名して仙台藩士となります。大八の家系が後に復活を徳川幕府から許された仙台真田家になります。現在に至るもなお、姉と弟の墓が白石に残っています。昔を今に伝える数奇な物語です。 | 2021-05-11 |
29 | | 下半過 大慈(いつくしみ)の湯 | 下半過 大慈(いつくしみ)の湯は上田-坂城バイパスから旧道へ抜け、下半過の農道を進むと見えてくる鉱泉湧出です。
この湯は、観世音菩薩藩の大慈大の誓いが世に現れたものとされ、近隣住民などからは大慈の湯、ないし下湯と呼ばれています。
泉温が1999年時点では24.8℃、pH7.2、蒸発残留物量は0.2g程度の冷鉱泉です。
総硫黄としては硫黄泉の定義には足りていませんが、源泉周囲では硫化水素があり、非常に薄い硫黄泉であるとも考えられます。
2020年春ごろまでは源泉付近に案内板が建てられ、温泉スタンドとして観光客や遠方の人々に開放されていましたが、2020年の夏~冬ごろに発生した土砂崩れの影響で源泉の湧出が停止し、看板も撤去され実質的に廃湯となっているようです。
近辺にあるびんぐし湯さん館とは泉質が近いようです | 2021-05-07 |
30 | | cafe and bal LIFE | 上田市赤坂付近にあるバル。
普通の家のような外観だが中はおしゃれなバルで安くておいしい料理を提供している。
昼はカフェ、夜はバルとして楽しめる。 | 2021-05-05 |
31 | | cafe and bal LIFE | 赤坂上駅から徒歩約5分。脇道を入ったところにある隠れ家的存在。おしゃれな内装で、落ち着いた雰囲気。 | 2021-05-05 |
32 | | 米沢鯉 | 鯉の宮坂として親しまれている米沢市の郷土料理です。米沢
のABCの館山林檎、米沢牛と並ぶ名産品で、鯉の旨煮になどの鯉料理はお盆、お正月などのお祝い事に食べられます。
「みやさかや」は地元でも人気の鯉販売店です。 | 2021-05-05 |
33 | | 西部地域-2 | 花桃イベントの駐車場にあった坂の道路標識。私の出身である石川県七尾市では、このような道路標識は登山道にしか見たことがないが、撮影した場所はバイパスの近くである。このように、坂が身近にあるのも上田の特徴ではないかと考える。 | 2021-05-05 |
34 | | 未来館 | 地元の大きな図書館で、本はもちろんたくさんあるがビデオが見れたり、舞台や対談などのイベントが行われていたりもする。 | 2021-05-05 |
35 | | 龍翔館 | 地元の歴史にまつわる者が多く飾られている。有名な船も入り口に飾られている。 | 2021-05-05 |
36 | | 東尋坊 | 有名なスポットでドラマなどにも出てくることがある。船があったりもする。 | 2021-05-05 |
37 | | 駅前の足湯 | これは地元の足湯です。駅の近くにあり、祭りや屋台もあって賑やかです。 | 2021-05-05 |
38 | | 須坂市立博物館 | 臥竜公園内にある。
館内は3つのブースに分かれており、須坂藩関係の資料、東日本最大級の積石塚古墳である八丁塚古墳の出土品などの古墳の出土品、製糸業の資料が展示してある。
大きな瓦が出迎えてくれる。
須坂市の歴史を知ることができる貴重な博物館で、入館料自体もすごく安い。 | 2021-05-05 |
39 | | 小泉大日堂 | 山奥にどっしりと構えるこのお堂。古びた建物には威厳を感じ、周りはお墓なので少しの怖さを覚えます。
ここは、上田市小泉にある小泉大日堂。806年創建された寺院で、所有者は高仙寺。
ご本尊は大日如来、宇宙そのものであるといわれる如来様です。現世安穏、諸願成就のご利益があるといわれています。
元々は、大日堂だけでなくたくさんの建物が建っていたようですが、坂城の武将・村上義清と甲斐の虎・武田信玄が戦った「上田原の合戦」で、戦火に遭い大日堂だけが残りました。 | 2021-05-05 |
40 | | 太神宮社(通称おたやさん) | この神社もバイトへ向かう途中にあり、毎回気になっている所でした。太神宮社は「おたやさん」という通称で親しまれているらしく伊勢御師による大麻頒布の旅屋に祀る神社です。境内には八坂社・津島社・猿田彦社蛭子社・天満社・稲荷社・秋葉社四条公神社といった多くの社が奉られていました。その中でも稲荷社の赤鳥居の存在感が強く、引き寄せられるように鳥居をくぐりました。不思議な空間で神隠しを連想させるようなスピリチュアルな場所でした。一つ一つの鳥居の大きさは私がギリギリ通れるサイズでした。 | 2021-05-05 |
41 | | 榛名神社 | 群馬県高崎市にある神社です。創建は6世紀後半といわれ、1400年を越える歴史を持ちます。主祭神として火の神である「火産霊神(ほむすびのかみ)」と、土の神である「埴山毘売神(はにやまひめのかみ)」を祀り、古くから鎮火、開運、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるといわれています。
一人暮らしや久しぶりの学校で疲れた心を癒やすために訪れました。自然豊かで空気がとても澄んでいて、神社だけでなく不思議な形をした岩や小さいですが滝も有り、自然を楽しむことができると思います。山にあるので運動不足の人には坂がきつく感じると思います。 | 2021-05-04 |
42 | | 須坂市動物園 | 臥竜公園内に併設する動物園。亡くなったカンガルーのハッチは全国的に有名であった。
園内にはD51形蒸気機関車が飾られている。
園内には遊園地も併設されている。
サタデーナイトズーなどの数多くのイベントが行われる。 | 2021-05-04 |
43 | | 竜ヶ池 | 臥竜公園にある池が竜ヶ池である。
須坂市は竜の里と呼ばれ、池には竜が眠っていると言われている。
池には多くの鯉が泳いでいる。鯉は竜になることからいるのだろう。
アヒルボートで遊べるので家族連れやカップルで行くと良い。また、前澤社長のふるさと納税でボートを新しくしたようだ。 | 2021-05-04 |
44 | | 百々川緑地 | 臥竜公園横を流れる百々川の河川敷につくられた緑地。
きれいに整備され、ゆっくりお散歩するにはちょうどいい。
写真にあるように、5月になると川岸を渡すように鯉のぼりが風に乗っている。夏は河川敷で花火があがる。 | 2021-05-04 |
45 | | 臥竜山 | 写真は臥竜山頂上から撮ったもの。
ハイキングにはピッタリで、ノンストップで頂上を目指せば10分程でたどり着く。
頂上からの眺めは絶景であり、須坂市や長野市、奥にある北アルプスまでも一望できる。
山道には百番観音が建立されていて、全てまわるとご利益をえる。 | 2021-05-04 |
46 | | 臥竜公園 | 須坂駅から東の方向へ登っていくと臥竜公園はある。
ご存知の通り桜の名所に選ばれるほど、春には多くの桜が咲く。
公園内には動物園もあることから家族連れで賑わい、須坂市の観光スポットとなっており、春にかかわらず年中楽しめる場所である。
写真の滝は公園内にあり、どうやらパラースポットのようだ。 | 2021-05-04 |
47 | | 姨捨駅 | 姨捨山の中にある駅。ここを通る電車は坂を登る助走を取るために一時停止するのが有名である。また、落ち着いた雰囲気が流れており、電車を撮りにきている人なども多くいた。 | 2021-05-03 |
48 | | 潮海寺 | 奈良時代、聖武天皇のころ(およそ750年)名僧行基により開かれたと伝えられる当地方きっての古刹高野山釈迦文院の直末といわれ、平安時代に坂上田村麻呂の帰依によって寺領が寄進されたといわれている。往古は寺領3千石、寺域に75坊を数える名刹として知られていたが、兵火により全焼し、伽藍の規模は残された22の礎石と布目瓦によってしのばれるのみ。
現在、この地には朱塗りの薬師堂金剛院が建てられ、薬師如来縁日の毎月8日午前10時から護摩が焚かれている。不動明王像が安置されている書院風の学頭坊は、薬師堂の南200メートルほどのところにあり、さらに100メートルほど南に市指定文化財の仁王門がある。江戸中期に建てられ、平成3年に解体修理が行われた寄棟造りの八脚門の左右には、高さ3メートルほどの寄木造りの仁王像が立ってい | 2021-05-03 |
49 | | [14/09/11]角間渓谷・鬼ヶ城と岩屋館 | 角間温泉は岩屋館のみが存在する温泉です。秘境の湯という感じがします。
この辺りから急に岩の絶壁が角間川に迫り、この道路もその間をぬって延びているかような場所です。「鬼ヶ城」の説明板には「角間鬼ヶ城遊歩道周囲略図」が描かれています。遊歩道に沿って行くと、鬼ノ門、鬼ヶ城があり、一杯清水の近くを通ってこの場所に戻れるようになっています。
それにしても、真田幸村ばかりでなく、坂上田村麻呂の伝説まであるとは恐れ入りました。 | 2021-05-01 |
50 | | [14/09/11]真田氏歴史館 | 真田氏歴史館が開館したのは1991年ということです。NHKのドラマ『真田太平記』(大河ドラマではありません)が放送されたのが1985年。ドラマで使用された昌幸・信之・幸村の甲冑などが展示されています。
開催中の企画展「大坂冬の陣」を見学しました。戦国武将の中でも人気が高い真田幸村の人気にもかかわらず、幸村所用の甲冑「南蛮銅具足」がそれほど有名でないのはどうしたわけでしょうか。「伝幸村」「幸村所用」とされる遺産はいくつかありますが、この甲冑もその一つです。
| 2021-05-01 |
51 | | [14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停 | 真田氏発祥の地「真田」は上田の市街地からはやや遠く、菅平高原に行く途中にあります。上田市街から行くとずっと登り坂になります。そうした坂の途中に伊勢山バス停があります。
このバス停は映画『サマーウォーズ』で描かれたことから同映画の聖地巡礼の地として知る人ぞ知る隠れスポットとなって久しくなります。
伊勢山バス停を過ぎると「ようこそ真田の郷へ」の看板が見えてきます。ここからがいよいよ「信州真田」です。上田市に真田町が合併する前の町域となります。 | 2021-05-01 |
52 | | 上田市 手塚地区について | 手塚(てづか)は上田市の西塩田に位置する地区である。付近には独鈷山があり、ため池も多く、別所温泉も近い。
手塚の地名の由来は、伝承によると、奈良時代に塩焼王が反乱を起こして当地に流罪となったが、再び勢力を挙げて反乱を企てたため、最終的に坂上田村麻呂によって討伐され、その塩焼王の怨霊を恐れた当地の人々によって両手を埋葬された事に由来するとされる。なお、この塩焼王の両手を埋葬した場所が、現在も「王子塚古墳」として残っている。
平安時代にはこの地より手塚氏が出て、手塚光盛が源義仲の家臣として活躍した。後に、この手塚氏からは江戸時代に水戸藩に仕えた手塚良仙光照という蘭方医
がおり、さらに、日本漫画界の巨匠である手塚治虫もこの手塚氏の系統だとされる。
手塚の地名の由来にこれほど偉大な歴 | 2021-02-27 |
53 | | 上田電鉄別所線の終点が今とは違う場所になるはずだったという話 | 上田市誌近代編(4)⑰変わる人や物の流れ 106ページより。
延伸計画とはまた異なるが、別所線の終点が現在の別所温泉駅よりも先、北向観音の下になるはずであったという内容が載っている。
ルート案が常楽寺の方を通るか、旅館花屋のそばを通るか考えられたが、2通りで対立してしまったため現在の位置に落ち着いた、ということである。
私は何度か別所温泉駅から北向観音や大師湯などへ歩いて行ったことがあるが、上り坂を10分ほど歩かねばならず、たしかに鉄道がそこまで伸びていれば大変利便が良かったのではないかと考える。 | 2021-02-27 |
54 | | 上田市と岡谷市における蚕業の比較 まとめ | 私は、上田市と岡谷市の蚕糸業の比較として、蚕糸業における様々な施設についてまとめた。その中で理解した相違点や共通点、蚕の今後の展望についてまとめる。
・相違点
同じ蚕糸業で栄えた上田市と岡谷市だが、上田市は「上田蚕種協業組合事務棟」や「常田館製糸場」の現存から養蚕業や製糸業を行っていたことがわかる。一方で岡谷は、「岡谷蚕糸博物館」に展示されている多数の繰糸機や「宮坂製糸所」の現存から製糸業で栄えたといえる。
・共通点
岡谷市の工女さんは、1910年には岡谷の人口2万3000人に対して、工女さん1万5000人と65%を占めていた。その後、1930年には岡谷の人口7万6500人に対して、工女さん3万4500人と45%を占めており、工女さん達は岡谷市の支えとなっていた。工女さんは10代半ばから20代前半の若い女性で、重要な | 2021-02-10 |
55 | | ミヤサカシルク トリートメントソープ(岡谷蚕糸博物館・宮坂製糸所) | 岡谷蚕糸博物館のショップでは、蚕のシルクを活用したスキンケア商品を販売している。石鹸や化粧水、クリームなどを販売しており、ネット通販も行っている。
私は、岡谷蚕糸博物館に併設されている宮坂製糸場で、「ミヤサカシルク トリートメントソープ」と「ミヤサカシルククリーム」を体験させていただいた。シルクソープは無香料・無着色・合成界面活性剤不使用で肌にも優しく、少量できめ細やかな泡が立ち、使用後はお肌がすべすべになった。シルククリームはシルクの主成分であるフィブロインが配合されており、使用後はお肌がしっとりとして潤いが戻ったと感じた。少々高価ではあるもののプレミアム感があり、プレゼントにも良いと思った。お土産コーナーには他にも生糸やバッグ、ストールや、虫の佃煮や桑の実ジャムといっ | 2021-02-10 |
56 | | 宮坂製糸所 | 「宮坂製糸所」は、岡谷製糸場に併設されている製糸工場だ。貴重な動態展示を行っており、実際に生糸を繰る様子を見学できる。私が見学に訪れた際には、工場の方から様々なお話を聞くことができて大変勉強になった。その中でも、特に「蚕の品種改良」と「蚕と医学」についてのお話が記憶に残っている。
まず「蚕の品種改良」では、蚕はメンデルの法則により必ず交雑が行われており、交雑種は病気に強かったり、糸が多く取れたりするため、安定性が向上することを知った。また、蚕に蜘蛛の遺伝子を導入することで、伸縮性や強度に優れた糸の産出が可能になるという話は驚きだった。
次に「蚕と医学」では、蚕は研究所や製薬所で医薬品の開発にモデルとして用いられたり、薬品やワクチンに利用されたりしていることを知った。まだ | 2021-02-10 |
57 | | 華龍飯店 上田店 | 赤坂上駅から徒歩1分ほどで行ける中華料理屋です。
価格に対して量がとても多いのでセットを頼むときは注意が必要ですが、かなり食べ応えがあるので学生の方に人気があります。ほおばり切れないほど大きな唐揚げが特徴です。
昼11時~14時
夜17時~27時
第2第4火曜定休 | 2021-02-10 |
58 | | 硬玉製大珠 | 【作品】
硬玉製大珠
【所在地】
群馬県高崎市
【作品説明】
縄文時代(中期)の前3000~前2000年のものであると考えられている。大きさは長11.3 幅4.1 厚2.7 重量149.5で、表裏側面をていねいに整形した典型的な鰹節形大珠で、上端は丸味をもち、下端は少しとがっている。全体を美しく研磨し、中央断面は楕円形を呈する。表面の色調は緑色と白色が入りまじり、裏面は緑色少なく白色の部分が多い。孔は中央よりやや上に穿孔されている。硬玉製大珠は、縄文時代の中期によくつくられ、北陸を中心に中部地方や関東地方に分布している。具体的用途は
【参考資料】
・文化遺産オンライン:http://bunka.nii.ac.jp/herita%E3%81%86%E3%81%88s/detail/541535/1
・文化遺産データベース:https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/159461 | 2021-02-09 |
59 | | 内行花文鏡 | 【作品】
内行花文鏡
【所在地】
群馬県高崎市:蟹沢古墳
【蟹沢古墳】
別名柴崎古墳と呼ばれる円墳である。この古墳からは本遺品以外にも一緒に銅鏡四面、鉄斧二箇、鉄釶一本、刀剣類・土師器残欠九箇が発掘されている。
【作品説明】
内行花文鏡とは後漢代の中国や、弥生時代から古墳時代にかけての銅鏡である。群馬県内ではほかの古墳からも発見されている。
【参考資料】
・文化遺産オンライン:http://bunka.nii.ac.jp/herita%E3%81%86%E3%81%88s/detail/541535/1
・Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%A1%8C%E8%8A%B1%E6%96%87%E9%8F%A1 | 2021-02-09 |
60 | | 埴輪 盾持人 | 【作品】
埴輪 盾持人
【所在地】
群馬県太田市:若水塚古墳
【若水塚古墳】
他8基の古墳が確認済み。中央部には埋葬施設が残存し、方形の板石を組み合わせた箱式の石棺と判明。棺内からは、互い違いに置かれた男女2体の遺体と、ヒスイの勾玉(まがたま)1個、ガラス製の小玉7個が発見された。棺や玉類からみて、5世紀代に造られたものと思われている。
【作品説明】
3世紀から6世紀、権力者の墓の上やまわりに立て並べられた土製品である埴輪(はにわ)。この埴輪の役割は、古墳を守ること。盾持人は全国で見つかっているが、ほとんどが古墳の中心から離れた縁(ふち)に置かれていたことから、古墳を背に盾を持って立ち、邪悪なものの侵入を防いでいたと考えられる。
【参考資料】
・文化遺産オンライン:http://bunka.nii.ac.jp/herit | 2021-02-09 |
61 | | 埴輪 犬 | 【作品】
埴輪 犬
【所在地】
群馬県伊勢崎市:上武士天神山古墳
【作品説明】
古墳時代、6世紀のもの。土製で高47.1 長52.5 重量7.9kg。犬は縄文時代から狩のパートナーとして人間との長い付き合いがある。古墳時代には人物埴輪の登場と同時期に、狩の対象である猪や鹿の埴輪とともに造形される。首輪をつけ舌を出した姿は、犬の愛くるしさと狩での息遣いを的確に表していると思われる。
【参考資料】
・文化遺産オンライン:https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/135427
・東京国立博物館:https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=J20711 | 2021-02-09 |
62 | | 私の地域探求テーマ一覧(情報通信文化論2020) | 長野大学の講義科目「情報通信文化論2020」(講義担当:前川道博)では、情報通信文化の根幹をなす文化伝承・知識伝承を概念的に学ぶだけではなく、受講生たちに自ら文化伝承・知識伝承による「キュレーション型」の学びを実践してもらいました。地域循環型社会にシフトしつつ現代においては、自ら問いを立て、一次資料に当たったり、地域に赴いて自ら得たデータを新たな一次資料とし、主体的に探求していくことが求められます。その学習プロセスが文化伝承・知識伝承に他なりません。
それらの課題探求テーマと成果を以下のマイサイトからカテゴリ「私の地域探求」を選んで御参照ください。
<私の地域探求テーマ一覧>
1 舌喰池の名前の由来(LGTMのサイト)
2 | 2021-01-28 |
63 | | ハート形土偶 | 【作品】
ハート形土偶
【所在地】
群馬県高崎市
【作品説明】
大きさは約30㎝、ハート形をした顔が特徴的である。この形の土偶が発掘されたのがこの土偶が全国初で、それ以降は各地で発見されているようだ。ハート形の部分は顔なのか仮面なのかは不明だが、女性像であるといわれており、様々な曲線は妊娠線・産道を表現していると考えられている。歴史的にも芸術的にも評価され、1965年に重要文化財に指定された。
【参考資料】
・東京国立博物館:https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4512
・My rock town 東吾妻:https://myrocktown.com/event/148 | 2021-01-27 |
64 | | 三角縁同向式神獣鏡 | 【作品】
三角縁同向式神獣鏡
【所在地】
群馬県高崎市:蟹沢古墳
【蟹沢古墳】
別名柴崎古墳と呼ばれる円墳である。この古墳からは本遺品以外にも一緒に銅鏡四面、鉄斧二箇、鉄釶一本、刀剣類・土師器残欠九箇が発掘されている。
【作品説明】
誰もが1度は見た事があるかもしれないが三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡と呼ばれているものである(実際鏡として利用されていたかについては議論を読んでいるが)。「魏志倭人伝」にある魏の皇帝が倭の女王卑弥呼に与えた「銅鏡百枚」ではないかという説もある。ちなみに三角縁神獣は蟹沢古墳以外にも県外の多くの古墳から出土しているが、中国からの出土は今のところない。
【参考資料】
・東京国立博物館:https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5307
・e国宝:https://emuseum.nich.go.jp/d | 2021-01-27 |
65 | | 深鉢形土器 | 【作品】
深鉢形土器
【所在地】
群馬県太田市:下宿古墳
【下宿古墳】
平安時代の遺跡で、この他にも多くの土器や土坑等が重要文化財に指定されており、学術的価値の高い遺跡である。
【作品説明】
重要文化財に指定された理由としては、縄文時代草創期に作られたものだと考えてられており、旧石器時代~縄文時代への移行期の物は大変貴重で重要な資料であるからだ。爪形文土器(人の爪や種々の工具を用いた刺突や押圧、摘み出し加工により施された器面の文様が特徴)と、石鏃や石槍などの石器で構成されているのだが、爪形文土器は、東日本に多く分布する尖底(せんてい)の深鉢形土器なのだが、全形を窺える個体はきわめて少ない。
【参考資料】
・国指定文化財データベース:https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/00011757
・文化遺 | 2021-01-27 |
66 | | 焼町土器 | 群馬県渋川市にある道訓前古墳から出土した焼町土器である。
道訓前遺跡は縄文時代中期中葉から後葉にかけての大規模な環状集落である。この遺跡から出土した品々の多くが国の重要文化財に指定され、その数は165点である。
道訓前遺跡から出土した焼町土器を始め多くの土器が重要文化財に指定された理由としては、群馬県西部から長野県東部にかけて比較的限定された地域に見られる独特な文様の「焼町土器」の他にも赤城山麓を中心に分布する個性豊かな「三原田式土器」、それが変容した形である南関東の「加曽利E1式土器」「加曽利E2式」期と様々な形態なものが存在し、それらは新潟県や長野県・南関東、北関東の他地域との文化交流の様子や、赤城山麓独自の地域文化の芽生えを示していると判断されたからである。
【参考資料】
・ | 2021-01-27 |
67 | | 銅水瓶 | 【作品】
銅水瓶
【所在地】
群馬県高崎市:綿貫観音山古墳
【綿貫観音山古墳】
全長98mの前方後円墳である。6世紀頃の古墳で高崎を支配した豪族の古墳と考えられているが、正確な情報は不明である。ここからは他にも多くの金銅製品等が出土しており、それらは6世紀後半の東国を代表する出土品として国宝に指定されている。
【作品説明】
中国・南北朝時代の庫狄廻洛墓から同類の水瓶が発見さたことから中国伝来と考えられている。ちなみに綿貫観音山古墳から出土したものは国内最古の水瓶で、古墳出土でほぼ完形品であるのは世界でこれだけである。
【参考資料】
・群馬県 文化財ライブラリィ:https://www.pref.gunma.jp/03/x0100616.html
・綿貫観音山古墳の世界「オンライン展示品解説 第1回 銅水瓶」: | 2021-01-27 |
68 | | 水鳥形埴輪 | 【作品】
水鳥方埴輪の頭部
【所在地】
群馬県太田市:太田天神山古墳
【太田天神山古墳】
太田天神古墳群に属す全長210mの前方後円墳である。東日本最大の大きさを誇り、東日本では2つしかない大王級の古墳のひとつである。(もう一つは同じく群馬県伊勢崎市にあるお富士山古墳)主は崇神天皇の皇子「豊城入彦命」を祖「上毛野氏」であるとされている。
【作品説明】
鳥形埴輪にも様々なモノがあり、鳥の種類によってつくられたいとは異なるとされている。古代において鳥と人間には精神的に深いかかわりがあったのではないかと考えられており、水鳥形埴輪も人間の水鳥に対する思いを反映して作られたものではないかと考えられている。
【参考資料】
・群馬県太田市 太田天神山古墳:https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bun | 2021-01-26 |
69 | | 長持形石棺 | 【作品】
長持形石棺
【所在地】
群馬県伊勢崎市:富士山古墳
【富士山古墳】
全長125mの前方後円墳である。東日本では2つしかない大王級の古墳のひとつである。(もう一つは同じく群馬県太田市にある太田天神山古墳)
【作品説明】
地域をおさめた首長を入れるための棺のため、大王級の古墳だけに存在する。全国でも45箇所からしか見つかっておらず、そのうちの2箇所が群馬県である。お富士山古墳の長持形石棺は全長285cm、 幅121cm、高さ115cm、重さ約6.8t、被葬者は不明であるが、ヤマト政権とも関わりがあった重要人物であると考えられている。
【参考資料】
・群馬県伊勢崎市 お富士山古墳:https://www.city.isesaki.lg.jp/kanko/rekishi/shitei/shiseki/3380.html
お富士山古墳所在長持形石棺:https://www.city.isesaki.lg.jp/kanko/rekishi/shitei/shiseki/3380.html | 2021-01-26 |
70 | | ナオミ | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
お店の雰囲気も建物全体の雰囲気も変わった様子はないが、商店街の雰囲気にとても馴染んでいるように感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
71 | | 旧美容室いちばん星Loop's・現cafebosso/Nofy | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。現在は1階がカフェ、2階が美容室となっており、2012年の時点であった美容室いちばん星Loop'sは反対側の通りに移転している。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
72 | | ヨロズヤ | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
利用している人はあまり見たことないが、雰囲気が現在もそのまま残されていて、歴史を感じる建物である。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
73 | | フードショップみやした | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
雰囲気というのはほとんど変わらないが、このような食料品が売っている小さなお店というのはなかなかないため、とても貴重であると感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
74 | | 但馬軒 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
一部塗り直したたところもあり、外見自体少しきれいになった感じもするが、もともととてもおしゃれな雰囲気もあり、まるで見た目では精肉店のような雰囲気ではない建物
のように感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
75 | | 万年筆の庄村 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
現在も営業しているお店であり、外見も変わらずそのままで、そして、看板の字も変わらず昔の雰囲気を感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
76 | | 旧玉井フルーツ店・現VACILANDO COFFEE | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
2012年の時にはあった玉井フルーツは現在移転し、今はカフェとして使われている。建物の茶色の部分とはだいぶ違う真っ白な壁となっており、とてもきれいな雰囲気を感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
77 | | アサヒカメラ堂 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
見たことがあるのみで、実際お店の中には入ったことはないが、約10年経ってもそのままの形で残されている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
78 | | ホケン堂藤岡薬局 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
目印となる左上の看板は少し雰囲気は変わったが、建物自体はそのまま残されている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
79 | | 千串屋 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
現在も1階にある焼き鳥屋は特に変化がないが、2階に関しては、今では居酒屋ができていたり、一番上の広告のようなものも新しいものに変わっている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
80 | | 旧むぎの里・現Nakamura | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
ピンク色でとても目立つ建物だが、それ自体には特に変化がない。しかし、左下のお店が2012年ではむぎの里だったのが、現在はNakamuraという居酒屋に変わっている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
81 | | メガネのヤジマ | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
このお店は大きな看板も建物も特に変化がないことが分かる。とても大きく目立つ建物であるが、特に眼鏡の形をした看板には歴史を感じる雰囲気がある。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
82 | | 清水書店 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
全体的に変化していないのが特徴であり、まさに歴史を感じやすいお店・建物である。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
83 | | いけだ薬局 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
変わった点としては、2012年の時点ではカタカナでイケダと書いてあるのが、今はひらがなに変わっている。しかし、特徴があり目印ともいえる緑と白の屋根はそのまま残されている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
84 | | 旧上田情報ビジネス専門学校3号館・現有料駐車場 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
2012年の時点であった上田情報ビジネス専門学校3号館は現在1号館の横に建てられており、そして、写真からも分かるように、今は有料駐車場になった。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
85 | | 学志ゼミナール | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
建物自体は特に変化がないが、2012年ではDSKパーソナルクラスだったのが、現在は学志ゼミナールに変わっている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
86 | | bb(ブラウスビューティフル)上田店 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
特に大きな変化というのはないが、現在はお店の入り口の上にも看板が付けられていて、屋根の部分があるだけでも、また雰囲気が変わるように感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
87 | | ル・カドル | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
現在はフランス料理店として経営している建物であるが、2012年の時点では特にお店はなかったことが写真から分かる。壁の色も茶色から白に変わり、とてもおしゃれである。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
88 | | 昭和商事株式会社 上田支店 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
2012年の時点では何も利用されていない建物だったが、今では2階には昭和商事株式会社、そして、1階には学習塾や不動産屋として利用されている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
89 | | 信学会 上田予備校 | 1枚目が現在、2枚目が2012年の外見を表した写真である。
私も一時期通っていた学習塾だが、今も多くの学生が利用しており、建物自体はほとんど変化がないことが分かる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-24 |
90 | | 旧レオパレス | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
現在は特にお店としては使われてないが、2012年時点ではレオパレス21となっていたことが写真から分かる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-23 |
91 | | 理容タケウチ | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
現在も営業されているのかは正直不明であるが、建物自体そのまま残されており、看板もそのままとなっている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-23 |
92 | | コエダ時計店 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
外見はほとんど変わらないが、入り口の左側にあるガラス張りのところに飾られているものを見ると、歴史を感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-23 |
93 | | 若林陶器 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
このお店も外見の雰囲気はそのままであり、そして、入り口の横のガラス張りに飾られているものも少しの変化はあるが、雰囲気というのはあまり変わらないように感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-23 |
94 | | 旧大正館えんぎや | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
タイトルにも旧と書いたように、現在このお店はもう閉店してしまったのだが、今でも看板だけがそのまま残されている。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-23 |
95 | | 三井住友銀行上田支店 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
銀行ということで、とくに建物なども変わってはいないが、とても立派な建物である。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-23 |
96 | | えんぎや京町家 | 1枚目が現在、2枚目が2012年の外見を表した写真である。
この建物は全くというほど変化がないことが分かる。このお店は居酒屋だが、歴史的でとてもおしゃれな建物のように感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-23 |
97 | | 松尾カメラ | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
左上のフジカラーの看板がお店の名前の松尾カメラに変わったくらいで、その他はほとんど変化がないことが分かる。歴史を感じる建物である。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-23 |
98 | | やまぎわ薬局 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
この薬局も外装が古くなっていることから、塗装しきれいになっていることが分かる。古い外見のまま残すのも歴史的であり魅力があるが、外装塗装をするのもまた雰囲気が変わるため、このように写真で比べると塗装も悪くないと感じる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-20 |
99 | | プラザホテル第一駐車場と旧クリーニング松屋 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表している写真である。
プラザホテル第一駐車場はそのまま残っていて、建物の外見はほとんど変わらないが、2012年の第一駐車場の右側には、その当時クリーニング松屋というクリーニング屋さんがあった。今は特に何も使われていない様子である。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-20 |
100 | | 旧安田たばこ店 | 1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。
今は特にお店とかはなく、一階は住宅のようになっているが、もともとは安田たばこ店というたばこ屋が存在していたのが分かる。
(2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用) | 2021-01-20 |