上田城やその城下町が残る上田市、江戸時代より城下町として繁栄を続けてきた。今回の探求では知られざる明治から昭和時代の「昭和の残り香を巡る」というテーマで探求を行いました。
★クリップ上田城やその城下町が残る上田市、江戸時代より城下町として繁栄を続けてきた。今回の探求では知られざる明治から昭和時代の「昭和の残り香を巡る」というテーマで探求を行いました。
今回は「遊郭としての上田城」の紹介です。
遊廓(ゆうかく)とは、公許の遊女屋(女郎屋)を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画のことです。
上田城は戦国時代、真田家の防衛拠点として大きな戦果を挙げた城で有名な場所であります。
一方、戦国時代が終わった後明治維新以降、二基の櫓は、払い下げが行われ、それぞれ金州楼、万富楼という名前を付けられ、昭和の初期まで遊郭の妓楼としての役割を果たしていました。
※妓楼→遊女を置いて客を遊ばせる家。
防衛拠点としての上田城は皆さんが良く知る歴史であります。しかしそれ以降の歴史は知らない方も多いのではないでしょうか。
自分の探求ではそのような記事を上げていくので、ぜひご覧ください。
「昭和の残り香を巡る」第二弾は上田遊郭跡です。
古地図には上田遊郭という土地が残されています。
今回はその跡地を巡ります。
上田郵便局を抜けた旧花園周辺。細い道の多い住宅街の中に急に車二台がすれ違えるような広い道が現れます。
そこが遊郭の目抜き通りです。
今は閑静な住宅街となっていますが、昭和五年発行の「全国遊郭案内」では日本有数の養蚕地であり、遊女が130人にも及ぶ発展を見せた遊郭であったと記されています。
名残といえば、当時からあった神社と電柱に残る新地という文字のみですが、急に広い道になるのは意味があるものだったみたいです。
「昭和の残り香を巡る」第三回は柳町。
城下町の情緒を残した取り組みを行う土地であり。
街並みはそのままに、様々なお店がそこで商売をいとなんでいます。善光寺への参拝のために整備され、佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした北国街道の宿場町として栄えていた土地は景観はそのままに今も観光地として栄えています。
ここは皆さんが来ても楽しめる場所です。
是非行って見てはいかがでしょうか?
「昭和の残り香を巡る」第四回は袋町。
このご時世、かなり厳しい状況に置かれているようですが、現在も歓楽街として栄えている袋町です、昭和時代の好景気の頃は人が多すぎて歩けないほど混雑していたそうです。
今はそこまでの活気はなくなってしまったかもしれませんが歓楽街としての役割は健在です。
数多くの看板が並び、多くの人々がここで夜遅くまでお酒を嗜むそう。
中の人はまだ未成年なのでお酒は飲めませんが、大人になったら、夜の袋町、一度は行って見たいですね。
「昭和の残り香を巡る」第五回は上田映劇です。
大正6年創業の上田映劇「晴天の霹靂」という映画に使われ上田映劇の建物は劇中で「あさくさ雷門ホール」として登場する。そのころのセットがいくつか残っており「浅草ストリップ」の看板が残っております。
ロケセットを観光資源とする姿勢、なかなかユニークだと思います。
文化財級の建物でありますが、現役の映画館でもあります。ぜひ一度中に入って映画鑑賞に行きませんか?