主に上田映劇についてまとめた記事です
★クリップ 私は「上田市の映画館」を地域探求テーマにして探求していきたいと考えている。
なぜならば、情報通信文化論の授業中に触れた「上田市街明細図」に上田劇場や上田電機館などの施設が載っていたが、ネットで調べて見てもどのような歴史があったのか、どのような作品が上映されていたかが不明瞭だったため、調べて見たいと感じたからである。
このテーマを探求し、上記の上田劇場の他にどのような劇場があったのか、どのような作品が見られていたかのアウトプット化を行っていきたいと考えている。
調べ方については、上田市内の図書館へ赴き資料の閲覧を主に行い、現在も残っている施設に関しては、直接足を運ぶことも視野に入れて探求していきたい。
1917年に末広座跡に上田劇場が開館した。
当時は芝居、落語、講談、浪曲、歌謡などが催された。
上田劇場の前身となるのは末広座だが、末広座の開館日は不明である。
しかし、1912年の上田町地図に末広座、中村座が載っているとのことから
1912年以前に開館されていたと思われる。
1922年に発行された「上田市街明細図」に上田劇場、上田電機館、中村座が載っている。
1919年に「上田演芸館」というのも開館されたとされているが
詳しい場所の情報が無いため、上田市街明細図から探し出すことが困難だった。
昭和初期(1926~1932?)頃に上映するものを映画中心とし、
上田映画劇場と名称を変更。
1960年代後半 映画の人気がピークに至る。
1964年 桟敷(さじき)席から現在の椅子席(270席)に改築された。
映画館の話題から少し離れるが、時代背景として1965年に開発された
家庭用ビデオテープレコーダ(VTR)、ビデオカセットレコーダ(VCR)が
1990年代には全世帯の70%以上の普及率を持つようになった。
また、1996年に発売されたDVDプレーヤーが
2000年以降低価格化が進むと共に普及していった。
今回、昭和以前の映画館について調べてみて、現在は映画館として運営している劇場も、映画というものが普及してから建築されたのでは無く、もともとは落語や芝居などを行うために建てられていた施設が映画館として利用されているということが分かった。
参考文献
海野町・原町びっくり歴史散歩 上田小県近現代研究会
上田映劇(2022/01/26)http://www.uedaeigeki.com/
1960年代の映画館(北陸・甲信越地方)(2022/01/24)https://hekikaicinema.memo.wiki/d/%C4%B9%CC%EE%B8%A9%A4%CE%B1%C7%B2%E8%B4%DB#content_5_15
戦後日本のイノベーション100戦 家庭用ビデオ(カセット)(2022/01/19)
http://koueki.jiii.or.jp/innovation100/innovation_detail.php?eid=00056&test=open&age=
上田映劇は映画撮影やライブなどに合わせて一部改装されたりしているそうだが、建物自体は大正6年に建築されてから変わっていないため、歴史を感じる事が出来る建物となっている。
2014年に上映された「晴天の霹靂」のメイン舞台となっていたため、入り口には雷門ホールと看板が立てられたりしていた時期もあった。しかし、あくまで映画のセットとして付けられたものということもあり、耐久性が高くなく昨年撤去されたのこと。
上田の市街地に建てられていることもあり建物の横幅が広くないため、外側から建物を見ても建物自体が大きく見えない。だが、奥行きのある建物となっているため、シアターに入ってみるとシアター内の広さに驚かされる。
シアター内は一階と二階の二つに分かれているが、現在は安全上の問題で一階のみ利用可能となっている。以前は、芝居なども行っていたため花道もあったそうだが、見学した際には見られなかった。おそらく、映画主体の上演への切り替えとともに取り外されたものと考えられる。
館内の天井は格天井というものであるそうだが、ネットで検索して出てくる格天井とは作りが異なっているのか、違う見た目をしていた。なんと、木ではなく銅を用いているとのこと。写真を撮影させて頂いてみたが、上田映劇公式ホームページの写真の方が何十倍もきれいであるため、興味を持った方はそちらをご覧下さい。また、ロビーの東側(上田映劇に入って右手側)には「晴天の霹靂」に出演された俳優の方々のサインが飾ってあった。
現在も上田映劇は定期上映を続けているため、公式サイト又は上田映劇内にある上映作品の案内を見て、興味を持った作品があれば足を運んでみてはいかがだろうか。
2011年3月9日 DVDプレーヤーなどの普及によるためか客足が徐々に減少していき、上田映劇は定期上演を終了してしまった。
2011年4月21日 TOHOシネマズ上田が開館。
2014年5月 上田映劇をメイン舞台とした「晴天の霹靂」が上映。
2016年12月 「映画の街上田」のシンボルとして再起動させていくために「上田映劇再起動プロジェクト」が開始された。
2017年4月 「上田映劇再起動準備会」として定期上演を再開した。
2021年12月 上田映劇をメイン舞台とした「浅草キッド」が上映。
DVDプレーヤーの普及に伴って、映画を映画館で見るということが減少してしまい、上田映劇は一度定期上演を終了してしまった。しかし、現在も上田映劇として存続しているのは、市民からの愛がある事に加え、映画を見る場所ということに拘らず、歴史ある建物を活かした映画も撮れる場所としての映画館という価値が作られたからではないかと感じた。
上田映劇に見学させて頂いた際、昔使用していた使用人室やプロジェクターを特別に案内させて頂いた。
画像にある映写機は、フィルム映画を上映するときに用いるものである。現在も実際にこの映写機を用いてフィルム映画の上映を現在でも行っているとのことだった。
二階にある使用人室は、上田映劇が映画の上演で賑わっていた際に、寝泊まりするために用いられていた。また、映画「晴天の霹靂」「浅草キッド」で上田映劇が舞台として使用された際も用いられた。ネット上の記事を確認したところ、舞台で用いられたセットが記念として残されているとのことだったが、見学させて頂いた際にはセットの劣化に伴い昨年撤去されたとのことだった。ロビーなどに比べ、一般の方が入られることが少なく改装されていないのか、1917年に建築された建物であるということを実感させられる空間であった。
今回は大学の授業の一環として見学させて頂いたため、案内してもらうことが出来たが、一般公開はされていないので、見学してみたい方は上田映劇のスタッフの方と相談する必要があると思われる。
Skima信州“文化としての映画”をつなぐ拠点、上田映劇。|支配人インタビュー
https://skima-shinshu.com/uedaeigeki/
今回、情報通信文化論の研究のために上田市の映画館について調査した。調べるにあたって、インターネットで検索したり、図書館に行き資料を探したり、実際に現地に足を運ぶことを行った。
調べていて一番に感じたのは、どの資料からも同じくらの情報しか得られないということである。探している情報がかなり古いということが原因か、元となる一次資料が極めて少ない。図書の資料であれインターネット上の記事であれ、元の資料が少ないことから、同じ資料から情報を得ざるを得ない。そのため、どの資料からも同様の情報しか得られないという結果になったのでは無いかと考えられる。
だが、あくまでこれは歴史などを調べる時限定の話であり、現在を知りたい場合はと感じた。なぜなら、インターネット上の記事や図書は、過去に誰かが投稿したものが残っていく物である。故に、誰かが更新しなければ、新しい情報は投稿されない。現在のことを知りたい場合は、インターネットや図書に頼るのではなく、直接現地に赴くことが一番情報を得られるということを学んだ。
上田市の映画館を調べていて学んだことは、時代に合わせて変化することの必要性である。上田映劇は、100年以上の時を経て現在も残っているものである。上田映劇の歴史を見ると、開館当初は芝居などを主に扱っていたが、途中で映画に切り替えていた。そして、その映画というコンテンツで上田映劇が満員になるほど売り上げることに成功している。映画館で映画をみるという人が減少してからは、映画のロケ地としての機能を新たに加えたことにより、現在も建物が残されていると思われる。これらのことから、時代の変化に合わせて出来る事を増やす或いは変更することが、生き残るために必要なことだと感じた。